2009年 9月 12日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉125 岡澤敏男 さつきの堰のところだな

 ■さつきの堰のところだな

  雨に遭遇した情景を第六綴によって知り得たが、この場所はいったいどのあたりだったのか。

  まずは第六綴へと連続する第五綴からみてみよう。第五綴は四つ森の坂道を越えた地点から始まり、耕耘部の沿道を通過し杉の生えた上丸谷地一号畑のそばで西洋風の時鐘をきき、昼食で耕耘部に引上げる農婦たちと擦れ違って育牛部の畜舎のみえる路上まで来て終わっている。ここから第六綴で、賢治の歩行は姥屋敷を指して北行し狼森の見える右の手前の松林に入っていくのです。

  大きな道が堰をまたいで松林へ通っており、賢治は堰を渡って坂のある松林の林道へ上っていきました。現在はこのへんの景観は一変していますが堰だけはなお実在しております。
 
  まだ松やにの匂もし
  新しくてぼくぼくした小さな桶だ
  かなりの松の密林だ
  暗くていやに寂しいやうだ
   ……
  その向ふが又丘で
  松がぽしゃぽしゃ生えてゐる
 
  大正8年10月調査による小岩井農場〈雫石滝沢事業区〉「林相図」によれば、この「松の密林」というのは相の沢林班の第Y小班に該当するようです。向いの丘の傾斜に「松がぽしゃぽしゃ生えてゐる」という描写は第Y小班の一部にある自然林の松のことらしく、「林相図」には「松散生」と図示されています。

  賢治はこの松林の一角で雨に遭ったのです。この雨はパート二の冒頭で「雨はけふはだいぢやうぶふらない」と裏返しした否定的予断でした。そのとおりに、雨はこの日の歩行の極北地点である松の密林で賢治に降り注ぐのです。

  雨は賢治の魂魄を分離させたオブセッション(強迫観念)を浄化させる禊(みそぎ)の雨だったのでした。雨粒がみえないのに空がぎんぎんして枯草が「パチパチ」鳴っているという描写は、まさに霊的な雨のおとずれを告げるイニシエーション(儀礼)というべきでしょう。(この日の実際の気象に「雨」はなく新聞の天気予報や農場の資料にも「曇」と記録されている。賢治は詩のモチーフに必要だったから雨を虚構し、「禊」の意味とむすびつくように雨のおとずれを神秘化したのでしょう)

  雨の禊により強迫観念を祓(はら)った賢治の魂魄はもと通りに合一して、小岩井駅にUターン(折り返し)していくのです。この松林から賢治の歩行はどのようにして「パート七」の場面にたどりついたのでしょう。そのメルクマールとなるのは第六綴の終末にあるつぎの一行の詩章です。
 
  このみちはさつきの堰のところだな
 
  さっき渡った堰のところに戻った賢治は、堰に合流する沢のほとりを遡って行きました。この沢は鬼越池を源流として長者舘2号、同1号畑の縁を縫うように流下する猫石沢?とみられる。沢沿いの道は「ぐちゃぐちゃした青い湿地で/もうせんごけもはえてゐる」ような小道です。やがてパート七の舞台となる37町歩(f)余もある長者舘2号と呼ぶ「とびいろの畑」に着きました。そこに「白い傘の農夫」が立っていたのです。

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