2009年 9月 16日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉142 伊藤幸子 野辺の松虫

 あかつきの別れはいつも 露けきをこは世に知らぬ 秋の空かな
  光源氏
 
  9月半ば、なんとも変化に富んだ一日を過ごした。朝、新聞を取ろうとしたら玄関に巨大なクモが逆さになって網を張っていた。アララ、「おみやげ持ってきなさいよ」と笑って追いやり、巣を取り払う。うちの嫁さんに見つかったらすかさず殺虫剤を噴射されるところ、命拾いしたろうがと言いきかせた。

  さて昼近く、買い物に行ったら店頭でリンドウや菊が破格値で出ていた。喜んで選んでいるとこれはまた、どこからきたのかオニヤンマがわたしの周りをめぐり肩や髪に止まる。わたしはすっかりうれしくなり「だんぶり長者」になった気分でしばらくとんぼのお相手をした。

  日中ぐんぐん気温が上がり、庭の朴(ほう)の木の茂みで法師蝉が鳴きだした。もう終わりかと思っていたら、にわかの夏の戻りに反応したようだ。多分、オニヤンマも、つくつく法師もきょうあたり見納めかなとしんみりする。

  そして夜、リーリーと、それは澄みわたった虫の音が響く。やがて鈴虫、コオロギ、松虫、ガチャガチャくつわ虫と、豪華な演奏会。そうだ、そうだ「虫の巻」、今宵は昼かとまがう月明かり。

  源氏物語「賢木(さかき)の巻」では、京は嵯峨野の虫すだく夜。光源氏と伊勢に下る六条御息所(みやすんどころ)との哀切きわまりない別離のシーンが描かれる。「秋の花みなおとろへつつ、浅茅が原もかれがれなる虫の音に、松風すごく吹きあはせて、そのこととも聞き分かれぬほどに、物の音ども絶え絶え聞こえたる、いと艶(えん)なり。」

  若いころならたちまち暗誦できたのだけれど、忘れの度合いが加速するばかりで情けない。掲出歌は源氏の君から御息所へ「この朝はいつものきぬぎぬの別れと違い、伊勢に離れていってしまうのでこの上なく悲しい」と述べられる。御息所の返歌「おほかたの秋の別れもかなしきに鳴く音な添へそ野辺の松虫」意は、「秋の別れはいつも悲しいのだから、そんなに鳴かないでおくれ、松虫よ」とでも言おうか。

  ちなみに王朝の昔から近代まで「虫売り」のなりわいがあったと聞く。源氏の世では松虫とは鈴虫のことだという。「昔を今になすよしもがな」月いとめでたき夜、虫めづる媼(おうな)のつぶやきである。

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