2009年 9月 20日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉232 八重嶋勲 海軍主計を志願する場合ではないのか

 ■305半紙 明治42年4月18日付

宛 東京市麹町区飯田町四丁目三十一、
               日松館内
発 岩手縣紫波郡彦部村
前畧先達テ拾円請求相成タルモ爾今金束(策)ニ困難送金致兼居候、近日中ニ送金可取計候、袴出来明十九日小包ニテ差送ル事ニ都合致置候、
佐藤富哉ヨリ略等聞及健康体ニ復シタルハ何ヨリノ事ニ候、此上本年ハ首尾能試検(験)相済シ、夏期帰郷セラレ度候、佐藤富哉モ当地ニテ二回迄落第シ、終ニ盛岡ヲ退校シ、東京ニ行タル由、今何学校ニ入学セシヤ、可成丈世話スル様ニ可致候、就テハ来ル五月一日頃村長ノ選挙行場合ナレバ父ノ佐藤治郎モ是迄ノ如クH連ト共ニ反対スル意志モナキ様ナリ、近頃モ面会スルニ富哉ハ長一様ヲ頼ミニ出京セリ、兄弟ノ如ク御世話被下候トテ喜ヒ礼言ヲ受ケ候、此度ハ運動モセス、競争モセス、断然退クト申居候得共、佐藤善次郎ノ如キ是非尚ホ一回ト申居ル様ナリ、Hト小野ト四五名カ阿部定吉撰(選)挙スル意気込モ有之候得共、如何アルカ、且ツ烈敷トキハ辞退スル見込ナリ、
星山ノ工藤盛造(八重島ノ甥)旧冬師範学校入学中肺結核ニ罹リ、去ル十五日岩手病院ニテ死亡セリ、父周助ハ仝人ノ為メ僅カノ財産ヲ豫メ費消シ、実ニ目モ当テラレヌ愁傷ナリ、
当月ノ六日ニ正養寺ノ老僧死亡セリ、余モ二昼夜看病シ、入棺ノ際ハ担(檀)家ト親戚ノ免ヲ受ケ、八重島ト千手堂ト我レト三人ニテ入棺シ、些カ師弟ノ恩義ヲ尽シタリ、葬式ニ行、法事ニ招カレタリ、其地ヨリ教全ニ対シ、悔状ヲ発スル様可致候、
先達テ送金ノ際佐比内中野ヨリ金五十円借用シテ三十円ヲ東京ニ送リ、弐十円ヲ農工銀行ニ払込シタルニ付、其許ヨリモ中野ヘ礼状差送ルベシ、
目下文部省ニテ郡視学講習アリ当郡視学モ一昨日頃上京セシ筈、一ヶ月以上滞在スル筈ニ付面會求ムル方モ可然、且ツ大学学校案内スルモ可然、
先達テ高等ノ川村上京セシ場合野村益太郎ノ宿ニ宿シ野村ヲ好評シ仝家迄挨拶セシ様ニ承リ、如此ハ地方ニ評判モ能キモノナリ、又当地ノ学事ノ状況ヲ聞クモ必用(要)ナラン、
野村亀治モ忰ノ処ニ用事ノ為メ上京スル話合モ致居リタル筈、定メテ今頃ハ上京セシナラン、
次ニ心配致居候ハ、明年限リニテ徴兵ノ猶豫モ出来間敷、学校半途ニシテ一年志願スルモ残念ナリ、尤モ二年後ニ於テ尚又入学スル杯ト到底出来サルコトゝ被思候、如何スル見込ナルヤ、豫而話合ノ如ク海軍主計志願スルハ此場合ニアラサルカ、機ヲ失セサル様被致度候、
家内モ手不足ニテ耕次郎ヘ妻ヲ娶リ度候得共、家ノ継承方、仮令ハ分家スルカ又ハ分家手續ニテ当家ニ相續セシムルカ、相談之上取極メ度候、勿論次三男ハ他家ニ呉ルゝモノトセハ良家ニモ縁談有之候得共目下ノ家政耕次郎壱人ニ手ニテ農業営ム様之次第、如何トモ困ル義(儀)ニ候、是等ハ当夏親シク相談可致候、右用事旁々文畧、早々(正養寺ヘ悔ミスルコト、佐藤治郎方ヘ富哉ノコト案心セシムル手紙、郡視学ニ面会スルコト、中野ヘ礼状送ルコト)
     四月十八日     野村長四郎
      長一殿
 
  【解説】「前略、先だって10円の請求があったが、その後金策に困難し送金しかねている。近日中に送金をするよう取り計らう。袴が出来たので明19日小包で送ることにしている。

  佐藤富哉から大体聞き健康体に復したということはなによりのことである。この上本年は首尾よく試験をすまし、夏期に帰郷してもらいたい。佐藤富哉も当地で2回も落第し、ついに盛岡の県立農学校獣医科を退学し、東京に行ったが、今何学校に入学したのか。なるたけ世話するようにせよ。ついては来る5月1日頃の村長選挙のときなれば、父の佐藤治郎もこれまでのようにHたちとともに反対する意志もないようである。近頃あったときも富哉は長一様を頼りに上京して、兄弟のようにお世話くだされたと喜び礼を言っていた。この度は選挙運動もせず、競争もせず、村会議員を断然退くと申していたそうであるが、佐藤善次郎が是非なおあと1回と勧めているようである。Hと小野と4、5名が阿部定吉を選挙する意気込みもあるけれども、どうなるのか。選挙戦が烈しいときは辞退するつもりである。

  星山の工藤盛造(八重嶋茂の甥)が旧冬師範学校入学中に肺結核に罹り、去る15日岩手病院で死亡した。父周助は、同人のために僅かの財産をつかってしまい、実に目も当てられない愁いと哀しみである。

  当月の6日に正養寺の老僧(石ケ森教山、天保3年生まれ、芝田甚兵衛将義師匠に教えられ、後に塾主となって子弟を教えた。長一の父長四郎も教わった。78歳没)が死亡した。私も2昼夜看病し、入棺の際は檀家と親戚のゆるしを得て、八重嶋茂と千手堂と我と3人で入棺し、いささか師弟の恩義を尽くした。葬式を行い、法事に招かれた。長一から石ケ森教全に、悔状を発するようにせよ。

  先だって送金の際、佐比内の屋号中野(長一の母の実家)から50円を借用して30円を東京の長一に送り、20円を農工銀行に払込みしたので、長一からも屋号中野へ礼状を出すようにせよ。

  目下文部省で郡視学講習があり当郡視学も一昨日頃上京したはず、1か月以上滞在するはずであるので面会を求めるようにせよ。そして大学を案内するのもよいであろう。

  先だって高等学校の川村が上京したとき、野村益太郎(紫波町日詰出身、旧制一高、東京帝大卒。東北帝大教授。ミミズ博士の名を残す)の宿に泊り、野村を好評し同家へあいさつしたということであり、このようなことは地方で評判がよいことである。また当地の学事の状況を聞くのも必要であろう。

  野村亀治も忰のところに用事のため上京する話もしていたので、きっと今頃は上京したことであろう。

  次に、心配しているのは、明年限りで徴兵の猶予はできなくなる。学校を半途にして一年志願をするのも残念である。もっとも2年後にまた入学するなどは到底出来ないことと思われる。どうする見込みであるか。かねて話し合ったように海軍主計を志願するのは、この場合ではないのか。機を失せざるようにせよ。

  わが家も人手不足で耕次郎へ妻を娶(めと)りたいと思うが、家の継承方、たとえば分家するか、または分家手続きで当家に相続させるか。相談の上取り決めたい。もちろん、次、三男は他家にくれるものとせば良家の縁談もあるが、目下の家政、耕次郎一人の手で農業を営むような次第で、如何とも困るところである。これらは当夏に親しく相談しよう。右用事かたがた、文略、早々

  (正養寺へ悔みすること。佐藤治郎方へ富哉のこと安心するように手紙を出すこと。郡視学に面会すること。屋号中野(長一の母の実家)へ礼状を送ること)」という内容。

  現実に家の農事を一人で担っている次男の耕次郎に嫁を迎えて家を継がせるか、分家にするかなどを夏期休業で帰省した時に相談したいと書いている。長子相続が原則の時代であったことがうかがえる。

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