2009年 9月 23日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉143 伊藤幸子 「黒き葡萄」

 沈黙のわれに見よとぞ百
  房の黒き葡萄に雨降りそ
  そぐ
  斎藤茂吉

 
  世の中はふしぎがいっぱい。ことにも人との出会いには人智の及ばざるものを感じることがある。あれは7月下旬の暑い日だった。

  某デパートで、小走りに店内を来られた女性が、私にぶつかるような勢いで「ねえ、タクシー乗り場どこ?」と聞かれた。「私ね、今から新幹線で上山(かみのやま)に帰るとこなのよ」と早口で。「エッ、上山なら茂吉記念館のお近く?」と私は反射的に聞いた。「そう、お近くもなにも、ワタシ、斎藤茂吉の孫だァヨ!茂太の娘だよ!」と言われるではないか。驚いたのなんのって、それからの会話は感嘆符の連続。

  それにしてもお若いので「だって、茂吉先生は昭和28年にお亡くなりですよね」「だから、私が3つのとき亡くなったのよ、私だってもうすぐ還暦よ」と笑われる。新幹線に遅れそうと言いながら、絵を描かれる斎藤恵子さんと名乗られ、茂吉翁の水彩肖像画の葉書をくださって、鳥のように去って行かれた。その間5〜6分、新幹線に間に合ったろうか。

  私は帰宅するなり「斎藤茂吉全集」を開いてみた。掲載写真の中に昭和26年11月3日、文化勲章受章の際の家族写真もある。和服の茂吉翁ご夫婦、茂太さんご夫妻に孫茂一、章二、恵子さんは生後9カ月ぐらいのようだ。半世紀以上もの歳月を経て、あの時の面ざしは輝子おばあさまの写真に似てみえた。

  茂吉翁の二男、北杜夫さんの長女斎藤由香さん著「猛女とよばれた淑女」に輝子夫人を主人公に、斎藤家の大河ドラマが描かれる。昭和39年、北さんの書かれた「楡家の人々」は白黒画面でテレビ化もされた。今改ためて読み返してみると、父娘の目から眺めた一族の個性、知性、美と伝統の奥深さに感動する。

  輝子夫人は89歳で亡くなるまで海外108カ国も訪ね、南極やエベレストにも行かれた。由香さんは卒論に「斎藤茂吉」を書かれたという。茂吉作品の中で北さんが一番好きなのは「幻のごとくに病みてありふればここの夜空を雁がかへりゆく」とのこと。私も恵子さんに「茂吉の一首」を尋ねたら「ホラ、沈黙の黒きぶどうよ」と即座に答えられた。瞬時の出会いに心高ぶり、葡萄の町上山市の土地鑑がよみがえった。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします