2009年 9月 26日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉127 岡澤敏男 パート八のミステリー

 ■〈パート八〉のミステリー

  パート一からパート七に至る賢治の道程は、午前10時9分に小岩井駅に着き、汽車を下り駅前から網張街道に出てその道を直行し、小岩井農場入り口に着く。

  巡り沢を渡り農場本部を経由して四つ森の坂道を上り、四階倉庫の光る屋根が見えるそばまで行く。それから耕耘部の沿道を北上し上丸谷地一号畑付近で12時の鐘の音を聞いたのち育牛部の牛舎前に着き、さらに北上して狼森の手前で堰を渡って若い松林に入る。

  ここで雨に降られUターンしてさっきの堰のところに引返し、ぐぢゃぐぢゃした沢道をたどって広大な長者舘二号畑に着いた。

  その間、賢治はひたすらに歩き、歩きながら見たり考えたりして手帳に記録し詩章を記述していったわけです。それはパート一、パート二、パート三、パート四、第五綴、第六綴と連続しパート七に到達する歩行だったのです。

  ところがパート七からの歩行はパート八の区間が省かれ、いきなりパート九へとつながっているのです。そのパート九の始まりの地点がパート四の最終地点と重なっていることは、次の詩章によって推察されるでしょう。

  むら気な四本の桜も
  記憶のやうにとおざかる
         パート四
  すきとほつてゆれてゐるのは
  さつきの剽悍な四本のさくら
         パート九

  その地点とは現在の製材所付近のことで、長者舘2号畑とはおよそ4千b余の距離をもつ地点です。この区間の歩行を記録する草稿が現存しないから、賢治は長者舘2号畑から4`余離れた製材所付近までの空間をタイム・トリップしたというほかはなく、この区間の移動にナゾを残すのです。

  ところがそのナゾ解きのカギを、賢治はそれとなくパート七の畑に落としていました。そのカギとは「雨をおとすその雲母摺りの雲の下/はたけに置かれた二台のくるま」とある〈二台のくるま〉を指しています。

  この車は2頭曳(び)きの馬車で1台は厩肥用の車、もう1台は燕麦の種子や過リン酸石灰といっしょに農作業員たちを乗せて長者舘2号畑に搬送した車でした。この「二台のくるま」こそが幻の〈パート八〉の密室を開かせるカギとなっているのです。

  耕耘部は長者舘2号畑のような遠隔地の作業現場には馬車で作業員らを運んで往復の能率をはかっていました。この日の燕麦播種の農作業は雨のために中止され、作業員たちは馬車に乗って事務所へ帰ったものとみられます。この馬車に賢治も便乗させてもらったのでしょう。

  時計を所持しなかった賢治はパート七のなかで農夫に何度も時刻を尋ねたのは、すでに時刻は午後1時を回り、小岩井駅発午後2時56分の汽車に間に合うかどうか心配だったからです。長者舘2号から耕耘部部まで約4`、それから小岩井駅にはさらに4`もあり気が気でなかったとみられます。そうした急迫した事情だったから、事務所に戻る作業員用の馬車に賢治が便乗させてもらったと推測されるのです。

  賢治は長者舘二号畑から耕耘部の事務所までの4`の区間を徒歩ではなく馬車で移動し、この区間の「歩行の記録」をまったく欠くことになりました。それが〈パート八〉不在のミステリーを生じさせる結果となったのでしょう。

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