2009年 9月 30日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉143 伊藤幸子 「仲秋の月光」

 うごけぬ樹と柵出でぬわれ仲秋の月光浴ぶるいみじきさだめ
                         福井 緑

  昭和6年生まれの作者の第6歌集「あをみどろ」を拝受したのはまだ夏の入り口だった。津軽の旧家の跡取りとして家を守り、若いころから創作活動に励まれ著書多数。青森歌壇のみならず全国区の活躍で知られる。

  平成9年に頂いた第4歌集「津軽の柵」で「緑藻におほはれて廃(すた)るる池にして岸のすぐりの房みづみづし」と詠まれた池が今回は、「古池に流れぬ水のあをみどろ ひと代の錯誤泛(う)くごとくして」とあり驚いた。この池は百年も前に父上が造られたもので「傾斜を利用して三段にしつらえた石組みで、上段からは湧き水が流れ落ち、それが中の池、下の池へと回ってゆく仕組みであった。父逝って三十年、夫逝って二十年。屋敷林の伐採、水源涸渇による地盤沈下などで、気が付くと池のコイは一匹もいなくなり、流れ落ちる水は絶えていた」と書かれ、今は思いもしなかった青みどろが覆っているという。

  そこに仲秋の月光が差している。よく季節の文章や時候のあいさつに「陰暦では」なになにと枕に振る文体を見かけるが、その例で言えば今年は陰暦5月がうるう月だったため、8月の十五夜が新暦10月3日にずれこんだ。

  さらに数字の具体性を言えば「原燃に意気あがる村の高級車『飢餓海峡』の書かれしところ」の意味する縄文の歴史と原子力の世界。昭和29年9月26日、青函連絡船「洞爺丸」遭難の日。同日、函館本線岩内の町では暴風の中、失火のため3500戸が焼失した。水上勉はこの事実をヒントに、不朽の名作「飢餓海峡」を書いたといわれる。わたしも何回読んだことか。台風特異日との記録さえもつこの日が巡りくると必ず取り出す本である。

  さて、いみじき定めに「柵出でぬわれ」なればこそ、氏はよく海外を回り歴史を検証して世界観を深められる。「象の牙刻みし薔薇のブローチを誰かが付けてわたしも付ける」は一集の巻頭作品。すでに故人となられた象牙商の女流歌人が慕わしい。そして今、「よみがへりうながして湧く清水あり古代の住人(ひと)の伝言のごと」泉と月光の霊力を通して、古代の人々の伝言が聞こえてくるようだ。


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