2009年 11月 8日 (日)

       

■ 〈胡堂の父からの手紙〉239 八重嶋勲 試験成績の知らせがないのは…

 ■313半紙 明治(33)年1月4日付

宛 (盛岡市)
発 (彦部村大字大巻)

前畧陳は金壱円送金致候、此度ノ試験成蹟(績)爾今報導無之定テ降級セシナラン、兎ニ角報告スベシ、而シテ尚通学ノ形状報知スベシ、病気之模様報知スベシ、痔疾爾今困難ニ候ハゝ井源ヨリ太陽丸ヲ買求相用ヘ(ヒ)可申候、夫共蜂蜜ノ方ナレバ尚可然ト被存候、余者後便ト申残ス、
   一月四日       野村ヨリ
    長一殿
 
  【解説】「前略、金1円送金した。この度の試験の成績のこと今も知らせがないのはきっと降級したのであろう。とにかく報告せよ。そしてなお通学の状況も知らせよ。病気の模様も報知すべし。痔疾が今も困難であるならば薬屋「井源」から太陽丸を買い求め使用すべし。それとも蜂蜜の方がよいのであればなおそうすべし。余は後に申し残す」という内容。

  この手紙は、明治何年なのか不明であるが、文面から推定して明治33年1月4日付ではないかと思われる。したがって、長一が盛岡中学2年、17歳の頃であろう。
 
  ■314半紙 明治(33)年5月5日付

宛(盛岡市四ツ家町猪川塾止宿)封筒なし。
発(彦部村大字大巻)

前畧本日帰宅之筈ニ候得共明六日春期運動会有之由、故ニ定メシ帰宅スルモ不都合推察罷在候故ニ金一円送金シ当月之授業料ニスベシ、明日六日ハ日曜日ナルカ故受取方ニ困スル如キ事有之ニ於テハ猪川先生ナリ、井豊ナリ、友朋ナリヨリ借用受取次第返金スベシ、毎度なから手跡甚タ拙筆ニシテ成長ニ従ヘ(ヒ)人前ニ於テハツガシメヲ受クルモノナレバ勉強スベシ、都合宜敷ハ十日前ニ一邊帰宅スベシ、余者後日面會ト申残ス、早々
  五月五日         野 村
    長一殿
 
  【解説】「前略、本日帰宅のはずであるが、明6日、春期運動会があるとのこと、そのためにきっと帰宅できないものと推察している。そのため1円を送金したので5月の授業料にせよ。明日6日は日曜日であるので受け取るのに困まることであろう。その際は猪川先生なり、井豊商店なり、友達からなり借用しておいて、送金を受け取り次第お返しせよ。毎度であるが手跡が甚だ拙筆である。成長に従って人前で恥ずかしめを受けるものである。勉強せよ。都合がよかったら10日前に一辺帰宅すべし。余は後日の面会に申し残す。早々」という内容。
  内容からして、明治33年5月5日付の手紙と思われる。
 
  ■315半紙 明治(33、34)年●月(2)日付

宛 盛岡市馬場小路 照井方
発(彦部村大字大巻)

前畧幸便ヲ以テ金四円差送リ候、明後々五日ニ午前第十時汽車ニテ出盛候ニ付、其際壹円丈(持参スルノデ)可成学校下リ第五時頃ニ斎藤方相尋候様可致候、夫共面會致兼候節者井豊ノ方ニ預ケ可置候、先者当用迄、早々
             野村長四郎
   長一とのヘ
 
  【解説】「前略、幸便をもって4円を送った。明後々5日に午前10時の汽車で出盛する。その際1円だけ持っていくので、なるべく学校を下がり午後5時頃に斎藤旅館に訪ねてくるようにせよ。それとも面会しかねた時は井豊商店に預けておく。まずはさし当たっての用件まで、早々」という内容。
  馬場小路の照井方に下宿していたのは明治33年6月から34年3月ころであるので、この間の手紙であることが分る。いわゆる盛岡中学大ストライキを企てた下宿である。長一が3、4年。18、9歳。

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