2009年 11月 8日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉89 小川達雄 ちゃんがちゃがうまこ5

    四、御蒼前様

  大正六年のちゃぐちゃぐ馬この報道は、その前日に「岩手日報」が予報を記し、「岩手毎日」が翌日、その当日のことを記した。「岩手公論」はすでにこの時、なくなっていたから、当日分の報道はこれだけである。次に「岩手毎日」の記事をあげるが、当時の「馬こ」は「露踏み」という昔からの行事や、人々の期待が盛り上がる中に行われていたらしい。

  「端午の御節句

    ▽チャグチャグ馬で賑ふ

  昨日は端午の御節句だつたので近在では早朝から例のチャグチャグ馬が御蒼前詣り
  に出蒐(カ)けた、何でも先を争ふものな由で一番馬は午前二時といふに鈴音勇
  ましく闇を駈けて行つた、二番三番と夜が明放れて行くに従つて次第に着飾つた
  馬が見えて来る下の橋一帯から大沢川原に掛け又夕顔瀬橋の町外づれには人山が
  築かれて一ト朝動揺(ドヨ)めいて居た、当日は露踏みの習慣があるので岩手公園
  には未明から健康を希(ネガ)ふ婦人連の小供を連れ立つ者が多く惜しげもなく
  白い脛を青草の上に見せて宿つた露の玉を踏んだり未だ陽の影の差さない風露草
  (ゲンノショウコ)を採つたりして居た、鯉幟は一昨あたりから樹てられ街の銭湯
  では菖蒲湯をたてる笹餅は其処此処に贈答された」(六、二四付)

  記事の中の「御蒼前」とは、県庁から北西へ約九`、滝沢村駒形神社のことである。その境内の前の説明板によれば、

  -鵜飼の鳥谷部某が田の代掻きをしていると馬がにわかに狂奔し、鬼古里(オニ
  コリ)山の峠で立ち往生した。時に雲中に声あり、「我は蒼前なり、今後この鬼
  古里に鎮座し、牛馬の災難を除いてやる」とのお告げがあった。以来、里人は社を
  建て、毎年近郷農家では一日仕事を休み、馬に飾りをつけ、早朝から勇ましく参拝
  して牛馬の無病を祈った-(要約)

  賢治は中学一年の五月、その鬼古里山の峠を行き、麓の谷川では瑪瑙のかけらをひろっていた。賢治とちゃぐちゃぐ馬ことの縁は、その時以来からであったのか。

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