2009年 11月 14日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉90 小川達雄 ちゃんがちゃがうまこ6

    五、「ぴゃこ」と「ぺっこ」

  二度、先頭の歌をあげたのに、そのおしまいの一行の方言について、まだふれないでいた。

  ちゃんがちゃがうまこ見さ出はたひと

  これであるが、まず「見さ」の「さ」について。『日本方言辞典』では「体言に付いて、対象、場所、方向などを示す。へ。に。」と記していた。そして「出はた」は、「出はる」の過去形で、同辞典には「出る。外出する。現れる。」とあった。

  この二つは、最もふつうに用いられる方言で、ふだんは注意されることもほとんどない。しかし賢治は、これによって静かな期待をかなでつつ、やってくるうまこの舞台をしつらえていた。そこには、優しい透明感が漂う。そして、二番目の歌は
 
  ほんのぴゃこ
  夜明げがゞった雲のいろ
  ちゃんがちゃんがうまこ 橋渡て来る
 
  賢治は、「ぴゃこ」には苦心したらしい。『アザリア』ではここを「ぱこ」と記し、歌稿Aでは「はaこ」としていた。

  しかしこの前年、大正五年の次の歌でも、「ぴゃこ」を用いていたことからすれば、賢治にはもともと、「ぴゃこ」が合っていたのかもしれない。
 
  「何(ナン)の用(ヨ)だ。」
  「酒(サゲ)の伝票。」
  「誰だ。名は。」
  「高橋茂吉(ギヅ)。」
  「よし。少(ピヤ)こ、待で。」
                四一五

  〔少し〕の意味の「ぴゃこ」は、ぴゃっこ、ぴゃーこ、ぺっこ、ともいう。べあっこ、べえっこ、ともいったが、わたしの昭和十三年頃の経験では、子供たちは「ぴゃこ」ではなく、「ぺっこけろ(呉れろ)じゃ」といった、もっぱら物をやり取りする中で、「ぺっこ」を使っていた。

  賢治の「ぴゃこ」は、騒ぎ回ってばかりいたわたしどもの「ぺっこ」よりは品がよく、そこには、賢治の育った家庭環境のせいがあったのかと思う。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします