2009年 11月 15日 (日)

       

■ 紫波町極楽寺、伝わる版木は300年前の「名号」 祐天上人残したものと判明

     
  極楽寺が所蔵している祐天上人の名号  
 
極楽寺が所蔵している祐天上人の名号の版木
 
  紫波町水分の極楽寺(吉田祐倫住職)に念仏が刻まれた古い「南無阿弥陀仏」の版木がある。この版木が、300年近く前の祐天上人(1637〜1718年)が書き記した名号(みょうごう)であることが東京都目黒区の祐天寺(巖谷勝正住職)の調べで分かった。他に例のない大きさで、両寺の関係者は驚いている。どういういきさつで同寺に名号が残っているのかは不明という。

 祐天寺の案内によると、祐天上人は現在の福島県出身、東京都港区の増上寺で修行した。50歳で引退したが、5代将軍綱吉の名で大巖寺(千葉県千葉市)、弘経寺(茨城県常総市)の住職、小石川伝通院(文京区)の住持、幕府や徳川家かかわりのある浄土宗の寺院の住職を歴任。75歳の時に増上寺第36世大僧正になった。

  祐天寺は祐天上人の没後に弟子の祐海上人が建立し、祐天上人の木造を本尊としている。

  祐天上人は50歳で引退したとき本所牛嶋(墨田区)の草庵で念仏をとなえ、名号を書写し多くの人に授けていた。授けたお札は長さ20aほどの名号で、この版木は各所にあるが、極楽寺のような1bほどある版木は現存するものは非常に少ないという。

  大胆に丸みを帯びた豪壮な書体。当時は、この版木をもとに作られた掛け軸が信徒らに渡ったとみられる。ただ、同寺にもその掛け軸自体は残っていない。

  祐天寺では祐天上人の研究を代々続けている。極楽寺で版木を見つけたのは祐天寺で修行を終えた花巻市の若い僧侶だった。連絡を受けた祐天寺の巖谷住職が寺の研究員2人を伴い5日に極楽寺を訪ねた。実物を確認したところ、祐天上人の名号であることが明らかになった。

  吉田住職は「巖谷住職の話によると、名号を授かった人の病気が治るなどの奇跡が起こったという。綱吉公の生母、皇室、諸大名に広まり、南無阿弥陀仏の信仰を広めたと聞く。当寺に祐天上人の名号の版木がなぜあるのか分からないし、先代が知っていれば話しているはず」と話している。寺の宝物として大切にしていくという。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします