2009年 11月 15日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉19 丸山暁 秋の夜長、宇宙の旅を

     
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  ほんの2カ月前に「緑のトンネルを抜けると僕の家がある」と書いた緑のトンネルが、今では紅葉のトンネルとなり、道路端には落ち葉がたまり始めた。木枯らしが吹けば、葉っぱを吹き飛ばされ丸裸のトンネルになってしまう。木枯らしとは良く言ったものだ。

  今の姿だけをとらえれば、春に芽吹き夏には緑に満ちあふれ、今枯れ行く紅葉のトンネルは滅びの美学でもある。そんな事を思うと少々寂しくもあるが、もう少し先をみれば、今を一時の休息、栄養を蓄えての春への序章とも考えられる。人間も、心身疲れ切って冬の時期もあるが、それをしばしの休養と考えれば希望も湧いてくる。物事見よう考えよう。

  落ち葉から、こんなところまで思いを馳せたら、オー・ヘンリーの『最後の一葉』が突然心に浮かんできた。この突然降って沸いてくる意識、それが現代脳科学のスーパースター茂木健一郎のいうクオリアと言うものなのだろう。無意識に起こる意識、人間不信に陥るかも知れないが、詳しくは彼の出世作『脳と仮想』あたりを読んでみてください。

  さて、ここで『最後の一葉』を思い起こすとは、僕もなかなか読書人と悦に浸っていたのだが、『最後の一葉』のてん末の肝心なところが思い出せない。病床の少女から見えた最後の葉っぱは散ったのかとどまっていたのか。誰かが葉っぱを小枝にくくりつけてたから葉っぱ1枚残ったとか、それは不自然だフェアじゃないなどと友人と議論した記憶もある。少女は生き残ったのか。これまで数回読んだろうに定かでない。僕は健忘症かアホなのか。

  まあ、読書なんてそれでもよいではないか。科学式を覚えたり、ハウツウ本を読んで処世術を身に付けるのも読書の一端ではある。しかし、読書の楽しみは、まず書店や自分の蔵書から本を探すことから始まり、著者やタイトルを確かめて、装丁や表紙に目をやって、手にとって質感や重さを感じ、本を開けば新古、インク、その本固有の臭いが漂ってくる。

  そして、読み進めば、いつしか本の世界に引き込まれ、天使にも悪魔にも、小公女セーラのように下女にも貴族にもなれ、見知らぬ世界、宇宙の端まで一瞬にしてたどり着く。数行読んでいい気持で眠りにつくこともあるが、読書とは、人間にとって五感、シックスセンスを駆使し楽しめる総合文化ではないか。そこには雄大なロマン、旅が潜んでいる。

  読書離れが進んでいるとか、それは人間、大げさではなく1個の人間にとって大いなる損失である。さて、そんな人の心配より、『最後の一葉』のてん末が気になる。まずは、あちこちの壁一面の本の中から、最も薄い岩波文庫の『オー・ヘンリー』短編集を探し出さねばならない。この本の探索から読書の旅が始まる。秋の夜長、この時だけでも読書人に。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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