2009年 11月 18日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉151 伊藤幸子 晩年の子

 五十路の母身籠りたれば産め産めと励ます父に吾を産み給う
  黒崎善四郎
 
  角川の月刊誌「短歌」10月号に「70歳代歌人競詠特集」があり、16人の歌人が各7首ずつ作品を寄せている。その中に、昭和9年生まれの黒崎氏の掲出歌があり目にとまった。

  昭和9年といえば不況冷害、軍部の台頭著しく人心定まらぬ時期。もちろん初産ではないだろう。いくら産めよ増やせよの時代とはいえ、五十代での出産はさぞかし大変だったろうなと思われる。

  実はそんなことを思ったのは、先日、わが母校の学習発表会の時だった。全校児童50人に満たない小学校は一部複式学級もあり、劇や合唱が披露され盛り上がった。子供たちのソプラノの声を聞きながら、不意に半世紀も前のわたしの学芸会風景がよみがえった。

  終戦子のわたしたち一年生は27人で、演物は劇「一番星の出るまでに」でわたしは迷子の子猫の役だった。黒山の見物客の中で、ふっと目を上げると講堂の一番後ろの戸口に父が立っていた。「アッ、じっちゃんみたいで、しょすな」と思った。さいわい劇は拍手喝采で幕を閉じたのだが、わたしは帰るなり父に、友達の前ですごく恥ずかしかったと強い口調で言った。あの時の父の無言の横顔を今も忘れていない。父は50代半ばであった。

  お天気博士の倉嶋厚さんに「父の思い出」という心にしみる章がある。氏の十七、八歳のころ、ひどい神経症にかかられたという。「晩年の子だったから、その時、父は七十近かった。『お前の心配事をタテに並べてみられないか』と父は言った。どうしてもタテに並ばない時は、お前が病気か、自殺ということもあるだろうなあ。自殺は重い病気の後の死なんだよ」との一節。わたしの三十年来の教典である。

  平成9年、奥様を亡くされてからの氏の苦しみは筆舌に尽くしがたいものが伺えるが、今はほのかな小春日和と言われる。晩年の子の悲しみは、必然的に親と過ごす時間が短いこと。「じっちゃんみたい」な父の悲しみも今ならよく分かる。まだまだ不明の人生の天気図に、わたしも父がしたように時には小学校の講堂で、生気に満ちた子供たちの声を聞き、エネルギーをもらいたいと思っている。


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