2009年 11月 21日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉135 岡澤敏男 脱ふ舎のコーンセーラー

 ■脱ぷ舎のコーンセーラー

  この童話は「脚をきちんとそろへて」直立する「赤シャツの男」の登場で、もうひそかな緊張感がただよいます。そして第1章の終わりころで、その「赤シャツ」は農夫室の正面にかけてある「丸い柱時計」に気がつくのです。

  その「盤面(ダイアル)は青じろくて、ツルツル光って」農夫室には不似合いな上等な柱時計でした。赤シャツはとっさに〈舶来もの〉と直感するのです。(賢治はこの時計がパリ製だったことを最終章でうちあけている)何気なく柱時計を見た赤シャツは、自分の腕時計と見比べ「あいつは十五分進んでゐるな」と低くつぶやきモチーフの琴線を弾くのです。このように第一章は、読者をドラマへといざなうように振り付けた緩やかな序曲なのでしょう。

  さて、陸軍省軍馬補充部六原支部より転職してきた赤シャツの男は、小柄でずんぐりした宮野目農夫長から指示されて玉蜀黍(とうもろこし)の脱粒作業場に行きます。作業場は耕耘(こううん)部の事務所の裏手にある脱ぷ舎という建物の中にあります。第二章はこの脱ぷ舎における「午前十二時」までの作業風景を、賢治童話ではめずらしいほどドキュメンタリー風に描いているのです。

  脱プ舎は、屋根に明かり取りと換気を兼ねた窓のある建物で、中はがらんと広い空間をもつ作業場なのです。ここで家畜飼料用の燕麦の脱ぷや玉蜀黍の脱粒作業を行うのです。

  小岩井農場ではおびただしい頭数のサラブレッドや乳牛を飼育・繁殖していたので、その飼料にあてる燕麦を年平均3千石、玉蜀黍は1700石も生産していました。脱ぷ舎では8月ごろに燕麦を脱ぷ機(米国インターナショナル製)によって脱ぷし、冬季には玉蜀黍を脱粒機(カノンコーンセーラー)によって脱粒していました。

  この玉蜀黍は種子用の黄色馬歯種と呼ばれるもので10月の始めに刈り取った茎稈(けいかん)から玉蜀黍の穂をもぎ取り、細長く四方すかしにした倉庫で乾燥させ、または金網張りにした貯蔵庫に貯蔵して乾燥を図りました。(この乾燥倉庫は今も四階倉庫の近くに歴史的建造物として現存している)

  第2章は、脱粒機コーンセーラーが据えられている脱ぷ舎での情景。午前8時半に始動した脱粒機のモーター音が脱ぷ舎や周辺の空気を「る、る、る、る、る、る、る、る、る、る」と振動させている。コーンセーラーは直径45a長さ1b50aほどの円筒に、太さと長さが約1a角のイボ状の突起を多数植付けたシリンダーを内蔵し、そのシリンダーの回転によって玉蜀黍の脱粒が行われるのです。この装置の一端には玉蜀黍の投入口が設けられ、他端には玉蜀黍の芯の出口が設けられており、投入口から玉蜀黍の穂を入れると回転するシリンダーのイボで玉蜀黍が脱粒し、他端から芯が排出してくる仕掛けになっているわけです。

  この脱粒作業に人員7名と馬2頭が配置されます。2頭の馬は乾燥倉庫から玉蜀黍の穂をカマスに入れて馬車に積載して脱ぷ舎に運搬し、また玉蜀黍の穀粒をカマスに入れて四階倉庫に運搬するのです。脱粒作業に従事する農夫7名のうち2名は小屋の天井にのぼって乾いた玉蜀黍の穂をコーンセーラーの上の投入口にどんどん投入します。すると「きれいな黄色の穀粒と白い細長い芯にわかれて」脱粒機の両側に落下してくるので、赤シャツの男はこの穀粒をシャベルでしゃくっては向う側に投げ出しているのです。2名の農夫は黄色い穀粒をカマスに収納し、あとの2名は細長い芯を集めて小屋の裏手の汽缶室へ運んでいきました。

 ■童話「耕耘部の時計」より抜粋

  今朝来たばかりの赤シャツの農夫は、シャベルで落ちてくる穀粒をしゃくって向ふに投げ出してゐました。それはもう黄いろの小山を作ってゐたのです。二人の農夫は次から次とせはしく落ちてくる芯を集めて、小屋のうしろの汽罐室に運びました。

  ほこりはいっぱいに立ち、午ちかくの日光は四つの窓から四本の青い棒になって小屋の中に落ちました。赤シャツの農夫はすっかり塵にまみれ、しきりに汗をふきました。

  俄かにピタッとたうもろこしの粒の落ちて来るのがとまりました。それからもう四粒ばかりぽろぽろっところがって来たと思ふとあとは器械ばかりまるで今までとちがった楽なやうな音をたてながらまはりつゞけました。

「無くなったな。」赤シャツの農夫はつぶやいて、も一度しゃつの袖でひたひをぬぐひ、胸をはだけて脱穀小屋の戸口に立ちました。
「これで午だ。」天井でも叫んでゐます。

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