2009年 11月 22日 (日)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉93 小川達雄 ちゃんがちゃがうまこ9

    七、続・「いっしょけめに」

  前回ではまだ、「はせでげば」の〔はせる〕について、あまり記さないでいた。
 
  いしょけめに
  ちゃがちゃがうまこはせでげば
  夜明げの為が
  泣くだぁぃよな気もす
 
  じつはちゃぐちゃぐ馬こが「はせで」、の箇所では、どうして馬が観衆の面前で走るのか、正直のところ、以前にはよくわからなかった。それで八年ほど前、中学生賢治について初めて講演をした際に、

  |小馬が走ったのか、なにか驚いて走っ
  たのか|
  などと云って、司会の栗原敦氏から助け舟をいただいたことがある。

  しかし気がついてみれば、この年のちゃぐちゃぐ馬こが済んだ直後に、一馬産農家のこんな懐旧談が新聞に載っていた。

  「〜今こそは漸次(ゼンジ)廃つて来た
  が、昔は蒼前詣と云へば馬腹の両側に地
  に垂れる位な鰭(ヒレ)やうの彩布を着
  け、ダクで速さを競ふ、その際布を地に
  附けぬやうにしたものである、」(『岩
  手日報』大正六、六、三〇付)

  いま特に注意したいのは「ダクで速さを競ふ」の箇所であるが、その「ダク」について『日本国語大辞典』ではこう記す。

  「だく|あし(足)〔名〕(『だく』は
  馬の足音の擬音という)馬術で、馬が前
  脚をあげてやや早足に歩くこと。またそ
  の足なみ。だく。」

  すると賢治は、だんだんその頃は廃れて来たという、馬この乗り手が速さを競うそのありさまを目にしたのである。それを「はせでげば」と云ったのだ。

  翌年七月、盛岡に皇太子(昭和天皇)がおいでの際、ちゃぐちゃぐ馬こをご覧に入れたが、その時の通達には、「(馬の)歩法は速歩に依るも差支なく大小の馬鈴を附すべし」とあった。

  つまり大正六年の頃は、昔からの習わしが色濃く残っていたのである。夜明けがかった橋の上をやって来た馬この行列といい、賢治は伝統そのままを歌っていた。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします