2009年 11月 25日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉152 伊藤幸子 寿命まで

 透析に生かされ生きてせしひとつ蝉のむくろを土に還しぬ
江田浩之
 
  「昭和52年4月28日、私の転機の日であった。血液検査の結果が思わしくない、入院の準備をしてすぐにでも来てくれとの連絡を病院から受けた。快復の兆しもなく、2カ月後にはついに人工透析を受けることになった。31歳であった」

  千葉県の元教論江田浩之氏の第一歌集「風鶏」のあとがきである。やがて「血液の濾過をしている間、それまでは本を読むことで費やしていた時間を、もっと生産的に何かを創ることに」と考えて短歌を始められたという。

  私がお会いしたころは50代ぐらいだったろうか。全く病気の影など見えず明るく笑って歌って、帰宅後歌集を送られて驚いたことだった。しかし「熱出づる悪寒に耐へて屈みをり背中割れたる空蝉のごと」という状況を思うと声もない。

  新学期「ゐるだけで楽しきクラスつくりたし我の所信に頷く子あり」また「躁に入る不登校の子に会ふために吾も躁なる今日を選びぬ」真に痛みを受けとめ分ち合ってくれる先生は絶大な信頼感で慕われる。「生と死を分けゐるものは偶然と思ひて歩く石をけりつつ」常に命のせとぎわにあればこそ言い得る処世訓。命を無駄にする若者たちにもまっすぐ響く。

  「シンバルを一度たたきしその少女不動のままに曲の終はりぬ」この先生は本当に生徒たちが好きなんだなあと思う。チームの一員としての役割りを果たすこと、それは命令とか理屈ではない精神の純朴さであろう。そこを見ている先生の目に感動を覚える。

  「シャッターの徐々に降りきて店内ゆ漏るる明かりの幅縮めゆく」も好きな歌。先日は芝居の幕が徐々に降りくるのを見ていてこの歌を思った。でも私には、時間と明かりの微妙なうつろいをこんな風にはとても詠めない。

  私と同年の作者、一病に添いながら「ひとつ生のいづこあたりか雨の降るひと日勤めて帰り仕度す」とつぶやく。そして「主治医は寿命まで生きられます。と応えて下さいました」とあとがきを結ぶ。そう、ご同輩、今が人生のどの辺りであろうと寿命まで歩いて行きましょうと思わずエールを送ったことだった。

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