2009年 11月 29日 (日)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉136 岡澤敏男 耕耘部の鐘と馬の歩調

 ■耕耘部の鐘と馬の歩調

  カノンコーンセーラーの動力が「る、る、る、る、る、る、…」と振動させる脱ぷ(禾孚)舎内で、新入りの赤シャツの男がちりにまみれ汗をぬぐいながら奮闘する玉蜀黍(とうもろこし)の脱粒作業は、燕麦の脱ぷとともに耕耘(こううん)部の根幹的な仕事でした。

  サラブレッド、ホルスタイン種の大ブリーダー(生産者)である小岩井農場では、燕麦と玉蜀黍は経営基盤ともいうべき重要な飼料だったのです。とりわけ玉蜀黍の作付・収穫石高は育牛部門における経営のバロメーターで、この童話が執筆されたとみられる大正12、3年ごろは98町歩を作付し収穫は1770石(約319d)でした。この日に脱粒した黄色な玉蜀黍の穀粒は4斗入で280俵(約20d)というから、完了まではあと2週間もかかるのでしょう。

  裸電球が薄暗くともっている脱ぷ舎で、コーンセーラーから玉蜀黍がもれもれ脱粒・排出される情景がほんとうに目に見えるようです。

  こうした作業現場を臨見できるのは、耕耘部へのただの一見の来訪者ではあろうはずがない。耕耘部に馴染み深い賢治にしてはじめて描き得る世界だったのでしょう。

  第2章「午前十二時」の後段は「俄にピタッとたうもろこしの粒の落ちて来るのが」とまって午前の作業が終わるのです。脱ぷ舎の横には貯蔵庫から乾燥した玉蜀黍を馬橇(そり)で運んできた2頭の馬が「首を垂れて」立っています。そのときのことです。

  「向ふの農夫室のうしろの雪の高みの上に立てられた高い柱の上の小さな鐘が、前後にゆれ出し音はカランカランカランカランとうつくしく雪を渡ってきました。」

  この鐘は「前後に揺れ出し」と形容されるように、カソリック教会のアンジェラスの時鐘と同種の舶来の鐘です。この鐘と同じものが小岩井農場の場主(岩崎久彌)がブラジルに創立した東山(とうざん)農場にも設置されているらしい。

  農夫室の後ろというのは脱ぷ舎から見た位置で、実際には耕耘部の後部で農夫室に接続する地点にあった。こいのぼりのように高い柱の頂に屋根をかけ吊り下げた鐘で、遠くからは小さく望まれるが高さ40数a・直径20数aもある真鍮(しんちゅう)製の重量感ある鐘でした。

  詩篇「小岩井農場」のパート5(第五綴)にも「耕耘部の方から西洋風の鐘が鳴る」と描写しており、この鐘は賢治にとっては耕耘部のシンボル的存在だったのでしょう。

  すると今までじっと立っていた2頭の馬は一緒に頭を上げ、空っぽの馬橇をひいて厩舎の方へ歩きだしたのです。賢治はその2頭の馬の歩様に並々ならぬほどの関心を示し「いかにもきれいに歩調をふんで」と描いています。

  その関心度は病床にあった最晩年の文語詩にもより深く書き残しています。それは〔ま青きそらの風をふるはし〕(未定稿)の詩で、このなかに童話「耕耘部の時計」の場面を再現して「はるかにりりと鐘なれば/うなじをあぐる二匹の馬/華やかなりしギャロップをうちふみて/うまやにこそは帰りゆくなれ」と表象しています。

  あのときの2頭の馬のきれいな歩調を「華やかなりしギャロップ」と回想しているが「ギャロップ」とは襲歩(全力疾走)のことで、馬が速やかに厩舎をめざした歩様に対して誤用したものと思われる。

  この馬はハクニーで、前脚を高く挙げて優雅に進むハクニーの歩調は「華やか」との定評があったし、なかでも当時はハクニーにサラブレッドを配合した小岩井ハクニーがたいへん好評だったのです。

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