2010年 4月 1日 (木)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉138 望月善次 空気々々たまきをなして

 空気々々たまきをなしてめぐれども草
  原は沓(ママ)と足音もなし。
 
  〔現代語訳〕周囲を様々に囲って流れている空気は、環(たまき)のように輪をなして巡っているようですが、この草原には遠く足音もないのです。(はっきりとした音は何一つ聞こえないのです。)

  〔評釈〕「東京悲哀調」五首〔『アザリア』六号(大正七年六月二十六日)〕中の三首目。「空気々々」の「々(同の字点)」は、「踊り字」の一つで、本来は「人々」のように「漢字」一字の繰り返しに用いるが、ここでは、言うまでもなく「空気」のことであろう。「空気々々」は、空気が幾重にも話者の周りをめぐっている状況であろう。「沓(くつ)」は、「ノート ひとつのもの」にも「やうと(ママ)」とあるから「杳(よう)」の誤記であろう。ちなみに「杳」は、「木+日」で、「木の下に日があること」を示し、「日の出前/日没後」の暗さが原義で、「はるかに遠い」の意となる。「草原」の静かさを示すのには様々な方法があるのだが、抽出歌においては「空気+足音のなさ」という戦略を採ったのである。ところで、こうした静かさは、話者の特定の感情を入れやすくもなる。その適用の是非の判断は分かれようが、この「静かさ」の中に「嘉内の失意」を入れようとする読者も確実におられよう。
  (盛岡大学学長)

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