2010年 4月 17日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉156 岡澤敏男 子どもの誘拐事件

 ■子供の誘拐事件

  童話のストーリーはずいぶんテンポよく運ぶ。
 
  「春になつて、小屋が二つになりました。

   そして蕎麦と稗とが播かれました。そばには白い花が咲き、稗は黒い穂を出しました。その年の秋、穀物がとにかくみのり、新しい畑がふえ、小屋が三つになつたとき、みんなは嬉しくて大人までがはね歩きました。」
 
  入植した翌年の秋には竪穴住居が三戸となっているが、新設された二戸には各々五人家族が入居するわけだから、たぶん四坪くらいの竪穴住居とみられます。こうして所帯持ちの三人の住居が用意され、もう一人の独身者は最初の住居に同居することになったのでしょう。共同で開墾した畑には雑草や灌木を焼いた灰を散らして痩せ地でも育つソバ、ヒエを播種しました。この年は天候も順調だったらしく作物はほどほどに実り、大人たちは収穫した穀物を囲んでこの冬も安心だと喜び合いました。
 
  「ところが、土の堅く凍つた朝でした。九人のこどものなかの、小さな四人がどうしたのか夜の間に見えなくなつてゐたのです。」
 
  この「こども誘拐事件」が農民たちにとって受難の幕開けでした。その翌秋には山刀、三本鍬、唐鍬などの「農具盗難事件」が発生、また三年目の秋になると納屋に備蓄する粟がごっそり紛失するという「粟盗難事件」に遭遇するのです。

  農民たちは開拓した原野には精通していたが、周囲の森にはどんな魔物がすむのか不気味な存在でした。その恐れが現実のものとなり農民たちは事件の渦にまきこまれてしまったのです。

  これらの事件の経過をたどると犯人は森を棲家(すみか)とする魔物たちで、「誘拐事件」では「狼森の九匹の狼」、「農具盗難事件」では「笊森の顔の真っ赤な山男」、そして「粟盗難事件」では「盗森の手の長い大男」が出現している。まるで「地名由来譚」を地で行く森の魔物たちといってよい。いったい、これらの魔物にはどんな正体が隠されているのか。

  まず「子供誘拐犯」の狼の正体とはなにか。

  今でこそ狼は国内では絶滅して民話や神話の存在と化しているが、明治初期ごろまでは狼森に実際に出没していたらしい。姥屋敷の古老に聞くと、子供のころには狼森には近づくなと親から厳しく注意されていたと語っている。分れの近くに狼(おおいぬ)久保原という地名もみかけます。

  しかし明治9年に岩手県令(島惟精)が『狼獣殺捕報労下付の法』を公布して懸賞金で狼退治を奨励しました。懸賞金は雌狼1頭につき8円、雄狼は7円、子供狼は2円でした。白米が10`につき59銭、小学校教員(明治19年)の初任給5円という時代なのでかなり高額の懸賞金だったと思われます。

  1人で23頭を捕獲した猛者も現れたという。こうした懸賞金稼ぎ連中に追いつめられ、明治20年ころの狼は民話や神話に逃げ込んだのでしょう。しかし、この童話のシチュエーションは平安時代なので狼はまだ狼森に生息していたし、秩父三峯山の眷属(やまいぬ)である正体を隠している狼ともみられるのです。

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