2010年 4月 21日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉173 伊藤幸子 「敗荷」

 あな寒むとたださりげな く言ひさして我を見ざり し乱れ髪の君
                              与謝野鉄幹
 
  久々に上野不忍池を巡った。どこもかしこも桜満開、上野の山から下りてきた人波にもまれながら、ようやくかなたの弁天堂をカメラに収めようと池端に立ちどまると、しきりにカモメが視界をさえぎる。池の中央には黒く枯れ沈んだ蓮群(はすむら)が見える。「敗荷(はいか)」だ。

  上野にはさまざまな思い出がある。この言葉を知ったのはいつであったか。教えてくれたのは人であったか、本だったか-。永井荷風が、徳富蘆花がと、東京の水辺の自然を詩歌に託した文豪たちの逸話がよみがえる。

  「敗荷」は明治31年、与謝野鉄幹の詩で、若き私の暗誦歌だった。今日はそぞろ歩きには騒がしすぎたが、何十年ぶりに思い出した。「ゆふべ不忍池ゆく/涙おちざらむや/蓮折れて月うすき/(略)とこしへといふか/わづかひと秋/花もろかりし/人もろかりし/ああ何とか言ひし/蓮に書ける歌」。

  明治30年代、新詩社の「明星」主宰者の鉄幹は全国から集まる若い詩人たちの頂点だった。敗荷とは破れた蓮の葉。前年、晶子また山川登美子と遊んだ大阪住吉のあづまやを思う。今は晶子と二人、蓮の葉にみんなで即興の歌を書いたことが思い出される…と、なつかしむ。結婚が決まっていた登美子と、晶子の炎のような人生の分岐点が目にうかぶ。それにしても、蓮の葉に筆で歌を書く遊びとは、なんと雅びで甘やかな雰囲気であろうか。

  明治34年、鉄幹は前妻と別れ渋谷村に転居。「乱れ髪の君」との暮らしはエネルギッシュで、時代も戦雲に包まれ、晶子の「君死にたまふことなかれ」は民衆の爆発的な支持を受けた。同年発表された鉄幹の「妻をめとらば才たけて」の「人を恋ふる歌」も時代をこえて現在でも広く歌われている。

  「さきにほふ千鳥が淵の山ざくら春のふかさは知られざりけり」「あやまれりひとりゆくべきあめつちに人の子の肩手をかけてみし」千鳥が淵の水面には万朶の桜が照り映えて、この花のもとではまさに何が起きてもふしぎではない気がする。鉄幹晶子の世から百年、私は今しも新党を立ちあげて話題の人に、「つるぎの子」の風貌を見る思いにとらわれている。


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