2010年 5月 1日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉158 岡沢敏男 狼の「産見舞い」

 ■狼の「産見舞い」

  狼の「産見舞い」というのは、春お産した狼(おおかみ)に赤飯を持参して祝福することで、群馬県北部地方(吾妻郡六合村入山)で行われていた民俗儀礼だという。

  狼は多産で12匹も子供を生むのでお乳の出るように小豆飯でお見舞いするのです。12匹という数字は十二様という山の神の別称に因(ちな)むもので、この神に十二人の子供があったと伝えられ、安産や子育ての神として信仰されており、狼は十二様の使いだから十二様と一緒に「産見舞い」の赤飯を供えられるわけです。

  また入山では狼の子育てをする岩屋を「エノックボ」と呼んでいます。「エノ」は狼を表わし「オイノ」と共通しているから、滝沢の「オイノクボ」とよぶ地名は狼のお産する場所という意味をもつ地名なのかも知れない。

  入山地方の伝承によって、狼が山の神(十二様)の眷(けん)属として受容され、多産にして「子育て」をよくするという観念が浮んできます。この「子育て」観は、はからずもローマの創建王ロムルスが幼児期に雌の狼に乳を与えられて育ったという伝説を連想させるのです。

  賢治は暮れ行く三峯神社の奥宮をひとり登拝し、星月夜に閃(ひらめ)くいなづまに打たれながら深いメランコリーに陥ったのは、やはり狼の山霊と交感したものだったと思われます。

  賢治、トシ、シゲ、清六、クニの5人を産んで育てた母イチの寂しそうな姿がいなづまに写し出されたのです。それは、この夏に裏切った母への贖(しょく)罪感を反芻(はんすう)するもので、年譜に「七月三十日 母イチ神経痛で病臥中、夜行列車で上京」(堀尾青史『宮澤賢治伝』)とあるできごとに起因するものでした。

  そのできごととは、母の病気の看護を放棄してドイツ語夏期講習会に上京したことです。〔八月初め〕とある高橋秀松宛書簡に、母への贖罪に揺れる心境を濃やかに語っているのです。

  「私は母と一緒に温泉へでも行けば」よかったと思いながら、ドイツ語に精通することは「科学に対する義務」という口実で上京したのです。しかしその動機の偽善性に苛(さいな)まれ「心持は一向に落ち着きません」と述べている。そうした不安に駆られて車中でしたためた書簡だったのでしょう。

  そして三峯山の夜に鳴くコオロギに自らを擬し「こほろぎよいなびかりする星の夜の三峰やまにひとりしなくかな」と詠み、10月にも贖罪感を「だんだらの縞」に比喩(ゆ)してつぎのような歌を連作しています。
 
  「いきものよいきものよ
  いきものよ」
  とくりかへし
  西のうつろのひかる泣顔
 
  うつろしく
  遠くのぞめばひらめきて
  たそがれぞらは
  だんだらの縞
 
  たそがれの
  そらは俄にだんだらの
  縞をつくりて灯はゆれに
  けり
 
  こは雲の縞ならなくに
  正銘の
  よるのうつろにひかるだ
  んだら
 
  この「だんだらの縞」が翌年7月、秋田街道の夜行で幻視した床屋の「だんだらの棒」に転移していることは短篇「秋田街道」の随想でとりあげた通りで、賢治の母思いの深さを象徴する逸話と思われるのです。

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