2010年 5月 5日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉175 伊藤幸子 寺子屋

 梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん
                      菅原道真
 
  お芝居で、子供がいっぱい出る場面は活気があり笑いがある。歌舞伎ではおなじみの「菅原伝授手習鑑(かがみ)」の「寺子屋」の段。子供が8人もいて、筆を持ち手習いに余念がない。中には体は大きいが「涎(よだれ)くり与太郎」と呼ばれる少々愚図な子も居り、すぐ悶着のタネをまく。やんちゃ坊主たちにまじって、ひときわ目をひく利発そうな子がひとり。菅丞相(菅原道真)の子、秀才だ。

  寺子屋を営む源蔵(片岡仁左衛門)は、そんな子供達を見ても浮かぬ顔。今しも彼は庄屋方に呼び出されて、かくまっている菅秀才の首を討つよう命じられてきたばかりなのだ。道真が藤原時平によって太宰府に配流させられた史実に添っている。

  さて、その子の首実検を行う役が松王丸(松本幸四郎)である。折しもそこに、新入門の子がやってきた。がんぜない子の手をひく母親役は玉三郎。子を預けて去るや源蔵と妻戸浪(勘三郎)は、これを替え玉にしようと相談。

  いよいよ一人ずつ、子供の首実検が始まる。どの子も村の百姓の子なればすぐに親もとに帰されるが、松王丸は、子の数より机がひとつ多いではないかと問う。その時、奥で、菅秀才の首を討つ音がひびく。無惨、哀切の義太夫が泣かせる。自らも病人というこしらえの松王丸は五十日かつらの髪も乱れ、「生き顔と死に顔…」とつぶやき、首を秀才のものと認める。使者達も帰り、一件落着。

  そこに、帰りの遅い子を迎えにきたのが新入り小太郎の母、千代。「うちの子はまだでしょうか」と、おろおろとあたりを見回す母心が切ない。玉三郎の声音(こわね)がやさしく、心細く、不安感をかきたてる。この時源蔵、背後から斬りかかり、「刃(やいば)鋭く斬りつくるをわが子の文庫ではっしと受けとめ…」と、太棹のかなでる名場面。

  筋書きは二重三重に入りくんで、敵と見えしは実は味方とか、あとで諄々(じゅんじゅん)と判るしくみも歌舞伎の醍醐味だ。菅公の歌の通りに三子のうち梅王丸は父の供をして筑紫へ飛び、桜丸は自害し果てた。「何とて松のつれなかるらん」松王丸の心情を、子の日母の日に重ねて、私は笑いと涙の「寺子屋」の場面を思いうかべている。

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