2010年 5月 15日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉180 岡澤敏男 「狼森」の狼の素性

 ■「狼森」の狼の素姓

  金沢村は現在は大槌町の一部になっているが、江戸時代に藩営の金山経営で栄えた北上山地にある小さな村でした。しかし慶長17年の大槌城代の記録によれば管内での年貢米が第3位の村となっている。単に金山のみならず農業(畑作、牧畜、山林、養蚕)でも開発が進んでいたものらしい。

  注目されるのは旧金沢村に「オイノ祭り」とよぶ「狼の産見舞い」の民俗儀礼が現在なお伝承されていることです。かつては金沢地区の各集落で行われていたらしいが、現在は安瀬ノ沢と元村の2集落のみ「オイノ祭り」が伝承されているという。

  毎年2月19日(昭和40年ころより新暦)に山神と三峯山の石碑まで幣束と供物をもってお参りし、供物にはお産した狼の乳の出をよくする小豆飯のお握りとキチジなどの赤魚または鶏卵がある。

  昔は小豆飯でなく稗や麦と小豆を炊いたもので、「オオガミ(狼)さまごちそうをいっぱい持ってきたから、ごちそうを食べて馬や人は食べないでください」と祈ったという。たぶんかつての牧畜経営と結びつく信仰だったのでしょう。

  コラムに載せた写真は5月10日に撮影したものです。安瀬ノ沢の三右エ門橋を渡ってすぐ左方に供養された「三峯山」(右)と「山神」(左)の石碑があった。建立日が明治15年2月19日と刻まれている。倒れかけた鳥居の横木には4月3日(旧暦2月19日)に行われた今年の「オイノ祭り」に供えた名残の御札がみられた。

  この御札には洞穴の中に山の男神と女神と立ち、その入り口に番をする2匹の眷属(お使い)の狼が描かれているのです。ビニールの袋に納めてあるので真新しい感じのする御札のようでした。

  三峯山の石碑は大槌町管内に25基(旧金沢村には約半数の13基)建立されており金ケ崎町(22基)、遠野市(12基)に比して県内最多地区として注目される。なお『内史略(四)』(元文〜天保年間の記録)には南部山城守(盛岡藩主)が三峯神社に釣鐘を寄進したことが記されているから、盛岡藩はその当時から秩父の三峯神社とのつながりをもっていたとみられる。

  その後になって金沢村の各村落で三峯山の石碑を建立し「オイノ祭り」の儀礼を行い「狼と棲(す)み分け・共存」をはかるようになったのでしょう。

  大槌町と釜石市との境に「オイネガ森」という山がある。「オイネ」は「オイヌ」と同様に狼の方言で、小岩井農場に所在する「狼森(オイノ)森」と同類です。この山から狼の遠吠えが聞こえてきたという曾祖父の伝聞を『狼の民俗学』の著者が金沢村宮口地区の住人から聞き書きしている。小岩井農場の「狼森」も昔は仲間を呼ぶ狼の遠吠えが聞こえてきたものでしょうか。

  童話「狼森と笊森、盗森」は平安時代のできごととして設定されており「狼森」に狼が棲んでいても意外なことではなく、むしろ不思議に思えるのは農家からさらってきた幼い4人の子供たちへの狼の処遇です。

  誘拐事件は「土の堅く凍った朝」に発生し、心配した親たちのやっと捜しついたのは狼森でした。狼の出現にぎょっとした親たちがさらに驚いたのは、暖かなたき火にあたり栗や茸を食べ狼にいたわられ笑っている子供たちの様子でした。この「狼森」の狼の素姓は人を食い殺す野獣ではなく、賢治が学生の時に訪れて交感した三峯神社の眷属としての母性的な狼だったのです。

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