2010年 5月 16日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉45 丸山暁 人生いつでも旬

     
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  田舎暮らしの醍醐味(だいごみ)の一つは、この時期の山菜採りである。僕が採る山菜は、コゴミ、コシアブラ、タラの芽、シドケにワラビ程度だが、特に今年のように野菜が高値な時など、かみさんにありがたがれ、田舎人(いなかびと)の面目を保っている。

  山菜をこの時期食べると、山菜独特の苦味成分が冬場からだの中にたまった毒素を追い出してくれるという。まさに理にかなった、今が旬の食材である。

  旬のものはなぜいいのだろうか。多分その植物がもっている生命・成長のエネルギー、ポテンシャル(可能性)が最も満ち溢れている状態だからだろう。

  ところで、旬は食べ物だけでなく人間にもあるように思える。単純に人生の旬を考えれば、男は24、5歳、女は20歳前後、いわゆる青春期。本来そのころは、何の飾りっ気がなくても輝いているものだが、最近男女とも着飾ったり化粧っ気の多い若者が多すぎる。

  まあ、僕らの青春時代は長髪、下駄履き、ずた袋、くわえタバコに一升瓶、それも決して褒められたものではないので、今時の若い者はというのは止めておくが、植物も人間も、あまり飾り立て、手をかけすぎると旬の輝きを失いがちであることは確かだろう。

  そんな旬だが、野菜や山菜の旬は大体1年サイクルでやってくる。それなのに人生80年の旬が青年期の数年の一時期というのでは物足りない。考えようでは人間の旬は、人それぞれの人生の中で何度も訪れるものと思いたい。

  まず、生まれたての赤ん坊はまさに旬である、3、4歳のかわいい盛り、7、8歳の自我の目覚め、14、5の反抗期これまた旬であろう。20歳前後の青春期はもちろん旬である。そう考えれば、人生には数年毎に旬がやってくる。

  もう一歩話を進めれば、人生の旬はそんな若い時や青春期だけではない。子育てが終わった母親が、仕事や趣味や勉強を始めるのも旬である。定年を迎えたオッサンが、大学に行ったり、社会活動を始めるのも旬ではないか。リュック背負って旅に出るのも悪くない。

  病気の人が少し元気になって、大きく深呼吸をして、空気がうまいと感じるのも旬である。

  旬(しゅん)という字は旬(じゅん)であり、10日巡りのことでもある。であれば、人生10年ごとぐらいに旬、すなわち青春があっても良いではないか。好き嫌いは別にして、松田聖子や郷ひろみなど、何度も旬を繰りかえし、100歳になる聖路加病院の日野原先生は、旬のままあの世に旅立つに違いない。まだまだ僕も旬である。もちろん皆さんも。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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