2010年 5月 29日 (土)       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉162 岡澤敏男 山男の素性は山夷の裔

 ■山男の素姓は山夷の裔

  紛失した農具を探しに農民たちが最初に尋ねたのは狼森の狼でした。一番近い森でもあり、子供誘拐犯の前例もあり捜査の目を向けたのです。だが狼は無関係だとわかり、その西側にある笊森に向かいます。

  すると、この森の奥に一本の古い柏の木があり、その下に木の枝であんだ大きな笊が伏せてあったから「こいつはどうもあやしいぞ。笊森の笊はもつともだが、中にはなにがあるかわからない」と言いながら笊をあけると、笊の中に紛失した農具が九つともちゃんとありました。

  ところが、そのまんなかに「黄金(きん)色の目をした、顔のまつかな山男」があぐらをかいて座っていてみんなの顔を見ると、大きな口をあけ「バア」と言ったのです。このパフォーマンスには農民たちもあぜんとしてしまったことでしょう。

  柳田国男は『遠野物語』『山の人生』『山人外伝資料』の中で諸国の山男の伝承を数多く語っているが、笊森のユーモラスな山男のような例はなく、これは賢治が独自に性格づけした山男像なのでしょう。

  また、童話「山男の四月」に登場する山男は雫石町の西根山を生活圏としていて、なかなか繊細な自然感覚をもっている者です。例えば日光(天道)に飴の製造を感じとったり、風のぐあいで雲が変幻するのを見て雲助を連想するユーモアセンスなど。同じく西根山に住む童話「紫根染について」の山男についてもたいへんな知恵者として描いているのです。

  賢治はどうやら諸国に伝承される山男とはまったく異なる民族性を奥羽山系の山男たちに賦与させたものとみられます。それは彼らの素姓を大和政権によって山中に追いやられたエミシの民の裔(すえ)とみる歴史観によるもので、エミシ部族のなかで帰順を拒み奥羽山中を生活圏として生きてきた山夷の末裔に山男を重ねているのです。

  こんどの農具盗難事件は解決し、犯行の動機は笊森の山男が粟餅をほしくてやったと分かったので、農民たちは粟餅をこしらへ狼森と笊森に持って行き置いてきたのです。
 
   次の年の夏になりまし
  た。平らな処はもうみん
  な畑です。うちには木小
  屋がついたり、大きな納
  屋が出来たりしました。
  それから馬も三疋になり
  ました。その秋のとりい
  れのみんなの悦びは、と
  ても大へんなものでし
  た。
 
  ある霜の一面に置いた朝、今年もまた不思議な事件が発生したのです。この年に造ったばかりの納屋に保管していた粟がみんななくなっていたのでした。この粟がなければ粟餅も今年の畑の粟作りにも事欠くのです。農民たちは家族全員で粟捜しに森に出かけて行きました。

  前歴のある狼森、笊森と尋ねたが狼も山男も首を横に振って「ここには粟なんかない。もっと北を探せ」と申しました。捜索隊はさらに北をめざし姥屋敷にある黒坂森の入り口にたどり着き「粟を返してけろ」と言うと、森は姿を出さず「おれはあけ方、まつ黒い大きな足が、空を北へととんで行くのを見た。もう少し北の方へ行つて見ろ」と声だけしたのです。

  ここで黒坂森の主(巨きな巌)のさっばりした気性について、賢治が芝居のト書きめいた独白を挿入しているのをうっかり読み飛ばすところでした。

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