2010年 5月 30日 (日)       

■ 〈もりおかの残像〉7 澤田昭博 呉服町

     
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  かつて、この呉服町通が表通りで、前回の肴町通は裏通りだったと言われると逆のような気がする。「もりおか物語」肴町界隈には、「新山舟橋を渡って惣門から穀町、そして六日町・呉服町へここは城下のメインストリートであった」と確かに紹介されている。

  初め新町と呼ばれたが、その後、中町・呉服丁、明治になって呉服町いまは肴町に入った。上方商人井筒屋・近江屋などの豪商老舗が軒を並べた繁華街になった。明治17年の河南大火をきっかけに商店街の主導権は肴町へ奪われたという。

  郷土史家澤井敬一さんに伺うと、この写真左手前の建物は明治11年、盛岡士族による銀行第1号の「第九十国立銀行」で、現在の「もりおか啄木賢治青春館」である。100年以上たっても階段や塀、ポールと鎖など外観は全くそのままである。

  その隣が旧盛岡郵便局(現プラザおでって)、さらに奥には赤れんがの旧盛岡銀行もわずかに顔を出している。写真右側の川村床屋の手前で写ってはいないが岩手銀行もあった。左の大きな建物は、葺手町から移ってきた安田銀行(現みずほ銀行)だという。この時代の銀行が集中したまさに盛岡の金融センターになっている。

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