2010年 6月 2日 (水)       

■ 〈口ずさむとき〉179 伊藤幸子 花散つて

 花散つて狐は石となりにけり     星野麥丘人
 
  5月22日、北上にて「第25回詩歌文学館賞贈賞式」が行われた。詩部門は有田忠郎氏の「光は灰のように」短歌は田井安曇氏「千年紀地上」俳句では星野麥丘人氏の「小椿居」が受賞され、記念撮影選評、受賞の言葉、また開館20周年記念シンポジウム等で盛り上がった。

  私はさっそく受賞作品集を買い来て読んでいる。ことにも大正14年生まれの星野氏の「小椿居(せうちんきょ)」は、師の石田波郷邸の百椿居にちなんでつけられた集名とのこと。昭和22年より波郷、石塚友二に師事。満85歳の現在なお旺盛な創作意欲に満ちて魅力的な作品が満載だ。

  「スカートの丈が短しチューリップ」「雛罌粟(ひなげし)や大人になれぬ症候群」なんとみずみずしい花園よ、と読み進む。「クレマチス痩せてどうなるものでなし」ウフッ!繊細貴婦人の活写適格。「大事ないことはそのまま蟇(ひき)もまた」そうだそうだと、のどの辺りをヒクヒクさせてヒキガエルが笑う。「気掛りといへば気がかり蜘蛛の巣も」私はいつもクモとの出会いに気をつかう。「芍薬に虻来て誤植かと思ふ」エーッ、シャクヤクに濁点ついてら欣喜ジャクヤク、こんな会話を延々と続けてみたい。

  「穴惑(あなまどひ)まさかと思ふそのまさか」「同棲のもつれにもつれ鴨百羽」「葱坊主本地垂迹(ほんちすいじゃく)説のこと」虻も鴨も、一時(いっとき)仏の化身かと。さりげなく深い悠久の真がちりばめられて粛然とする。

  「花散つて操(あやつり)人形寝かせあり」集中に二句「花散つて」の景。私はこの春、爛漫の花の水辺を歩いた。不忍池の道端ではあやつり人形ショーをやっていて、意気の合った夫婦らしい二人の指先にあやつられて仇討ちの場面が喝采をあびていた。しばらく池を回ってくると、もうかの主人公は静かに息をとめていた。

  花は散ったのだ。ふと、この半月ほども、わがやのヤマナシの花に気をもみ、夢うつつの日々をすごしたことを思う。新聞テレビに紹介されたこともあり、千客万来の賑わいに感謝、密々と空を埋めて咲いた純白の花の生命力に動悸した。この世ならぬあの花舞台の演出は、老いたる白狐にあらざるや。「花野にて生れ変れるものならば」あらゆる結界のふっと解かれる予感の宵である。

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