2010年 6月 5日 (土)       

■ 〈賢治の置土産〉163 岡澤敏男 手の長く巨きな黒い大男

 ■手の長く巨きな黒い大男

  納屋から盗んだ粟の犯人を追跡して黒坂森まで来た農民一行に、黒坂森の主である「巨きな巌」がもっと北を探せと示唆したところで閑話となり、平安期から現代に話題を移して「銅貨七枚」の逸話を挿入するのです。

  それは四つの森の名前の由来を語ってくれた黒坂森に謝礼として「銅貨を七銭」やろうとしたが、「この森は仲々受け取りませんでした」という逸話でした。そしてこのようにさっぱりした気性をもつ黒坂森だから、その言い分は「全くその通りだったらう」と注釈したのです。

  それにしても謝礼に「銅貨七銭」という発想はおもしろい。七銭とは、童話を執筆した大正10年ころの「かけそば」一杯分に当る金額で、いかにも蕎麦(そば)好きだった賢治らしいです。

  この閑話をさておいて、いよいよ粟を盗んだ犯人の登場です。
 
   さてみんなは黒坂森の
  言うことが尤もだと思つ
  て、もう少し北に行きま
  した。それこそは、松の
  まつ黒 な盗森でした。
  …森の奥へ入つて行つ
  て、
  「さあ粟 返せ。粟返せ。」
  とどなりました。すると
  森の奥から、まつくろな
  手の長い大きな大きな男
  が出て来て、まるでさけ
  ぶやうな声で言ひまし
  た。
 
  大男は犯行を否定して証拠もなく犯人よばわりした農民たちを「みんなたゝき潰してやる」と凄みました。
   すると俄に頭の上で

 「いやいや、それはなら
  ん」といふはつきりした
  厳かな声がしました。見
  るとそれは、銀の冠をか
  ぶつた岩手山でした。盗
  森の黒い男は、頭をかゝ
  へて地に倒れました。
 
  岩手山は、盗森の主である「黒い男」の犯行をすっかり目撃していて犯人なることを証言するとともに、「盗森はじぶんで粟餅をこさへて見たくて」犯行に及んだと説明しました。そして粟は返させるから安心して家に帰るように農民たちを諭したのです。一同が帰宅すると粟はちゃんと納屋に戻されていたので、粟餅をこしらえ狼森から盗森まで四つの森に持って行きました。

  この童話の書かれた大正時代にはたしかに怪しげな「松のまつ黒な盗森」があったらしい。5月の好天の日にこの童話の現場を訪ねてみました。クマザサが茂る旧姥屋敷小学校の廃虚から黒坂森へ行くと、戦後にこの森は農地化され平坦に整備されてあり、かつての「黒坂森」は標識だけになっています。

  おまけに賢治に四つの森の由来を話してくれた「巨きな巌」も車の通行に邪魔だと掘り出されどこかに埋められてしまったという。それを惜しんだ地元のIさんが安山岩の大岩を探し出し標識の傍らに据え、賢治が腰掛けて聞いた語り部の巨巌の身代りにしています。

  そして、その北にある盗森の怪げな松林も現在はすっかり伐採されて岩手山を背景にした饅頭のように平べったい草丘となっています。もはや「まつくろな手の長い大きな大きな男」が出現する気遣いもなく、陽光を浴びた平明な丘として横たわっているだけです。

  さて、盗森の「手の長い大きな大きな黒い男」というのは、はたしてどんな素姓の持主なのでしょうか。


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