2010年 6月 8日 (火)       

■ 「一握の砂」発刊100年 荒俣宏氏も啄木絶賛

     
  「啄木と私」をテーマとした鼎談の山本玲子学芸員、荒俣宏氏、高橋克彦氏(左から)  
 
「啄木と私」をテーマとした鼎談の山本玲子学芸員、
荒俣宏氏、高橋克彦氏(左から)
 
  歌集「一握の砂」発刊百年記念と題した2010啄木祭が6日、啄木祭実行委員会の主催で盛岡市玉山区の姫神ホールで開かれた。「一握の砂を示しし人」の副題を付け、夭折の歌人石川啄木が遺した「一握の砂」の魅力や啄木の人物像を掘り下げた。作家の高橋克彦氏と荒俣宏氏をゲストに迎え、石川啄木記念館の山本玲子学芸員と「啄木と私」をテーマに、鼎談(ていだん)が繰り広げられた。

  両氏は「一握の砂」所収の中からそれぞれ10首を選歌。その理由などを語りながら、歌の魅力や衝撃、啄木の内面などに迫った。

  高橋氏は「浅草の夜のにぎわひに/まぎれ入り/まぎれ出で来しさびしき心」「しつとりと/水を吸ひたる海綿の/重さに似たる心地おぼゆる」など、荒俣氏は「一度でも我に頭を下げさせし/人みな死ねと/いのりてしこと」「いたく錆びしピストル出でぬ/砂山の/砂を指もて堀りてありしに」などを選んだ。

  高橋氏は「うすみどり/飲めば身体が水のごと透きとほるてふ/薬はなきか」を名作と賞賛。「啄木がいかにそのとき悩み苦しんでいたかの象徴。どろどろしたものが全部透き通って、また元の自分に戻りたいということ。どんなに悲しかっただろう。泣きながら書いたと思う」と、啄木の胸中を推し量った。

  「これが底辺にありながら、こんなにきれいな歌はない。小説でこの心底を書くことはできるが、たぶんこういうイメージはしない」と、啄木の非凡な感性を語った。

  荒俣氏は「何かひとつ不思議を示し/人みなのおどろくひまに/消えむと思ふ」について「ぼくもこの心境がよく分かる。消える前に何か一つ、ものすごいものを作ろうというのではなく、みんなが見えなかった、気が付かなかったということをみんなに見せて消えたいなと」と、創作者として共感を示した。

  ここには「逆転満塁ホームランの思想」が見られ「自分のことをある種、客観的に言えるおもしろさ。啄木はどういう不思議を見せようとしてくれていたのかという観点から探したい」と述べた。

  高橋氏は「一握の砂」はポンペイの遺跡から出てきたようなものと比喩(ひゆ)。「啄木が長く生きたら歌人としても小説家としても成功したと思う。だが、70歳ぐらいになって自分の人生を振り返ったとき、たぶん書かれている大半の歌は捨てたと思う。それはあまりにも自分の赤裸々な気持ちが出ているから」と、啄木の早世と引き替えに「一握の砂」がベストセラーとなったとの見解を示した。

  山本学芸員は作歌に当たっては自分の気持ちに正直になろうとした啄木の姿勢を解説し、短歌が歌謡曲の歌詞にインスパイアされていることも紹介。3人の話は岩手と高知との交流で合同企画展が実現した啄木と龍馬の共通性などにも話題が及んだ。

  鼎談を聞いた達増知事は「石川啄木という人は非常に深い。あまり注目されていないけれど大事な部分、発掘されていない部分のたくさんある人だと思う。荒俣さん、高橋さんがだいぶディープなところまで入っていって、さすがと思いながら聞いていた。坂本龍馬と肩を組んで共同企画展をやれるだけの人物と思った」と啄木の奥深さを再認識。

  「『一握の砂』発刊100周年はとても良い機会なので、県民、県民以外の人にも啄木のいろんな面に触れてほしい」と話している。

  舞台ではこのほか、劇団赤い風の朗読劇「林中の譚(たん)」の上演、渋民小鼓笛隊と女性コーラス「コールすずらん」の舞台もあり、郷土の生んだ天才歌人の足跡を見つめ直した。

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