2010年 6月 10日 (木)       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉6 古水一雄 杜鵑日記

 【今回の日記について】

  第1冊と番号の付された「杜鵑日記(ほととぎすにっき)」には、明治36年(1903年)5月1日から28日までが書き記されている。このとき春又春は18歳。盛岡中学校2度目の3年生である。

  【本文】

     
  肴町地図(部分)資料提供・千田田鶴子氏  
 
肴町地図(部分)資料提供・千田田鶴子氏
 
  このころの父・喜助(きすけ)の飲酒は半端なものではなかった。1日から27日までに、春又春は5回もそのあり様を書き記している。
 
十九日
   (前略)        
  父、村源から正宗をとりて飲む今朝一瓶
  午後一瓶
  あヽ父は、自ラノ●(欠の旧字体)点を知り不善
  を知り悶々として酒に乱るヽなり
   いさむれど如何ともする能はず
   余がこヽろのそこに叫んで曰く
     父ヲ屈托(託)セシメシモノハ誰
     ゾヤ
   あヽ 余や二十年かへりみれば夢の如
   しこの間親に對(対)していふにしぬ
   びず
   家庭の不孝なりし事思ひば慄然たるか
   な
   午飯、玉子焼 茶漬三ワン、
   夕飯、干大根汁 飯三ワン
  
  二十二日
   朝労(つか)れた氣(気)味にもあら
   ざりき
   下の橋に行き帳上げす
   父と例の如く酒を論ず、父ぶらぶらと  酒に酔ひ 酔ひて
   筆とれど字成らず、ドーシテモ書けぬ  と父くどく(※)、
   余酒の害を説き争いひて論ず、されど  今日もむだなりき
         ※くどく-愚痴をこぼす
 
  「村源」は一軒隣にあって薬を主に商いを行っていた商店である。当時は酒も販売していたものらしい。

  父・喜助といえば、きょうは飲酒していないなと思っていると倉で隠れて飲んでいるとか、酒を取り上げようとして酒器を割ってしまうとか、手の施しようがないありさまである。

  それにつけても親に意見をしなければならない自分を情けなく感じながらも、家庭と家業のことを考えれば意見せざるをえない自分をさいなんでいる。注意深く読まなくてはならないのは、父は誰かのことを気にしてこだわっていると春又春が考えていることである。

  ここからは筆者の想像になる。実は、父の先代である二代目庄兵衛・利吉はたいそう商売に長けていて、久保庄の身代(しんだい)を揺るぎないものに築きあげた人物である。

  利吉は70歳を超えて矍鑠(かくしゃく)としている。それだけに入り婿である喜助には商売に口を挟む隙間がない。20年を超えて一店員にあまんじてきたことでのストレスが次第に蓄積してきていたのではなかろうか。それが過度の飲酒につながったとも思えなくもない。

  ただ、日記のなかで祖父に触れて書いているのは、明治35年暮れの「豆まき」と明治37年の逝去の前後のあたり「追悼集」のなかだけであり、ましてや祖父と父とのかかわりや父と母・徳とのかかわりといったことにはまったく触れていないので、アルコール依存症が何から生じたのかは何ともいえないわけであるが…。

  しかし、やがて父・喜助のアルコール依存症は、春又春の命運を左右することになる。

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