2010年 6月 23日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉182 伊藤幸子 「方代さん」

 寂しくてひとり笑えば卓袱台(ちゃぶだい)の上の茶碗が笑い出したり 
                                         山崎方代

  「卓袱台の上の土瓶がこころもち笑いかけたるような気がする」といった一連のなつかしさに包まれる世界がある。作者自ら「生れは甲州鶯宿峠に立っているなんじゃもんじゃの股からですよ」と詠まれ、「放浪の歌人・無用者のうた」と呼ばれるのを拒まなかった。

  大正3年、山梨県東八代郡中道町「右左口(うばぐち)」村生まれ。第二歌集の集名にもなっている。私はこの本が話題を集めていた時分、全国誌の誌面でのみ接し、昭和49年の沸きたつ石油危機のころを思い出す。「無用者」と自ら世をすねた風な物言いも、また「呑代(のみしろ)もかせがにゃなるめえしつれあいも探さにゃならないし」と誌上で読んだときは思わず笑いがこみあげた。

  方代の生涯は苛酷だった。生家は富士山北麓の農家。老いた両親は眼疾、8人兄弟の末子の彼は太平洋戦争で右眼を失明、左眼も弱視のまま帰還。街頭で靴の修理をしたり港湾労働に出て糊口をしのぐ。家庭ももたず、定職にもつかず、それを苦とせずむしろ自分の文学を確立するという志に燃えていたようだ。

  「担ぎだこ取れし今でももの見れば一度はかついでみたくなるのよ」「右の手に鋤(すき)をにぎって立っておるおや左手に妻も子もない」生前、総合誌に載った氏の写真に、書架の前でランニング姿で本を開いている一葉がある。筋肉質の屈強な偉丈夫、そういえば氏の作品群には病老の歌はみえない。この写真家との会話がおもしろい。「放浪するにも金が要るよね。金なんか無いよ、電話もないしさ、なかなか連絡とれないし、方代は居ないと思われてるのよ」と笑い、「トット、トット(ちょっと、ちょっと)」が口ぐせであったという。まだ夕方に間のあるころから鎌倉駅界隈で飲み始め、27軒もの店を回ったとの逸話もある。

  昭和47年、鎌倉手広の地にようやく定着、そのころは一日1升の酒を飲んでいたとも聞く。さすがにそんな酒漬けの毎日では体が悲鳴をあげ、ついに60年8月、肺癌のため逝去、71歳。「一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております」「そなたとは急須のように親しくてうき世はなべて嘘ばかりなり」ああ方代さん、嘘でも一度逢いたい人でした。


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