2010年 7月 7日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉181 伊藤幸子 「たなばた」

 恋ひ恋ひて逢ふ夜はこよひあまの川霧立ちわたりあけずもあらなむ
                                        古今和歌集

  中国最古の詩集「詩経」に「牽牛・織女」の文字がみえる。そこから派生して、織女が仕事を怠けたため天帝が怒って、牽牛との仲を裂き、天の川を隔てて年に一度だけ逢うことを許したとのラブストーリーが構築された。

  こうして七月七日、二人の逢瀬にはかささぎが橋をかけ、星の橋、行き合いの橋、寄り羽の橋などの雅びな詩句も使われるようになった。古く中国の詩人たちに親しまれてきた七夕伝説は海をこえ、日本でもたちまちとり入れられ、奈良朝文人達の教養、また詩歌管弦等の格好のテーマになったようだ。

  七月七日、女性達は庭に作った棚に五色の糸を飾り、供え物をあげ「乞巧奠(きこうでん)」の祭りをとり行ったという。またその夜は梶(かじ)の葉に歌を書き、書歌の上達を願ったとも伝えられる。短冊に願い事を書く原型か。現在でも冷泉家の乞巧奠の伝統行事はよく知られている。

  さて「万葉集」には七夕の歌は130首を超え、10世紀初めの「古今和歌集」にも巻四に11首まとめて載っている。ちなみに七夕は夏の歌ではなく、秋の部である。掲出歌はよみ人知らず。「ひたすらに恋い続けて、逢う夜は今宵ひと夜のみ。せめて今夜は天の川に霧がたちわたって、このまま明けないでほしいものだ」との切ない思いがよくわかる。

  「ひさかたのあまのかはらのわたしもりきみわたりなば揖(かぢ)かくしてよ」これも哀切。「天の川の渡し守よ、あの方が渡ってこられたらもう帰れないよう、かじを隠してほしい」の意。

  あい逢いて離れがたい苦が「愛別離苦」ならその逆は「怨憎会苦(おんぞうえく)」。世の中はえてして後者が多くはなかろうか。時代は異なっても、あいながらの苦は思うだに救われない。などなど、つまらぬ雑念に聖なる天の川を汚してはまずい。

  「けふよりは今来む年の昨日をぞいつしかとのみ待ちわたるべき」さあ、八日になってしまった。今日よりは、これからやってくる七月七日を、いつくるかいつくるかと待ちわびなければならないと詠む壬生忠岑の、七夕きぬぎぬの歌。いにしえ人達がつきせぬロマンを抱いて眺めた天の川に、私も「恋ひ恋ひて逢ふ夜」の願望を託してみたい。
(八幡平市平笠、歌人)


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