2010年 7月 10日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉168 岡澤敏男 万葉歌人の高市黒人

 ■万葉歌人の高市黒人

  続橋達雄氏は「狼森と笊森、盗森」について「地名伝説風の発想を踏まえながら、歴史的時間をとびこえた無想」と説明しています。

  狼森や笊森の主(ぬし)は、その森の名前の通りの〈狼〉や、イタヤカエデの枝で編んだ笊のなかに棲む〈山男〉だったから、文句なく「地名伝説風」の童話とわかりますが、盗森の主はどうも「地名伝説風」の人物ではありません。

  〈まつくろな大きな足〉と〈まつくろな手〉をした〈大きな大きな男〉という黒い肌から間違いも無く黒色人種を連想させるのです。賢治は明らかに「地名伝説風」とは乖離した発想により「黒い男」を出現させているとみられる。それだけに「黒い男」の発想源へたどりつくナゾ解きは、まるで羅針盤のない航海のようなもどかしさでした。

  しかしこの童話の舞台を平安時代に設定したとすれば、「黒い男」のルーツを飛鳥奈良時代(万葉集の時代)に想定できそうです。たしかに万葉集の時代は活発な国際交流が行われており、トカラ人やペルシャ人やインド人の渡来が日本書紀にも記録されているから、万葉集の時代の人間模様のなかから「黒い男」が生まれたとみることができる。そして平安時代において北方の盗森に出現するという可能性を許容するのです。

  童話の世界では主人公がいつでも時空を超えて移動できるので、「黒い男」が奈良の都からいきなり北方の山林に移住しても物語は成立するわけです。

  だが強いて経緯をたどれば、この童話の「黒い男」の出自は奈良時代の貴種の渡来人であって、時代のトラブルにまきこまれ都からはるか北の空へと旅立ったと想定されます。それは折口信夫の「貴種流離譚」の流れをくむ物語の一つなのです。

  もう一つ万葉集の時代に「黒い男」の発想につながる歌人がおります。それは折口信夫が高く評価する高市黒人(たけちくろひと)のことで、「人麿にも、赤人にも教養ということは感じられないが、黒人には歌は数は少ないが、何か教養らしいものが感じられる」(角川選書『折口信夫対話』3)と外国文学(漢文)の影響を持つ歌風を評価している。

  黒人の出自は不明とされているが、高市の家系のものは鍛冶の業に関係をもつというから、ルーツは大和の高市郡に居住した韓国帰化人だったのかも知れません。その帰化人の血が「黒人」という命名や、洗練された教養に反映しているのでしょう。

  賢治は高市黒人を盗森の「黒い男」に比擬してみたのです。それは黒人を尊敬した山部赤人との対比においてのことで、笊森の〈顔のまつかな山男〉に赤人を比擬したのです。

  童話では笊森の山男が農民たちの農具を盗んで隠したのは、単純に粟餅がほしいばかりの動機でした。しかし粟を盗んだ盗森の「黒い男」の動機は「じぶんで粟餅をこしらへてみたかつた」というもので、ホームメード志向からでしたから、黒い男の動機にはたしかに教養の高さをうかがわせるものがある。

  賢治が盗森の主をなぜ〈黒人風の巨人〉としたのか推測すら難しいが、続橋氏が解釈したように「地名伝説風な発想を踏まえながら、歴史的時間をとびこえた無想」を意図したのかも知れない。それにしても国際交流が活発に行われていた古代史について、賢治はどれほどの歴史認識があったものでしょうか。

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