2010年 7月 15日 (木)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉4 望月善次 杜に立ちて

 「愁調」五編〔「杜に立ちて」、「白羽の鵠船」、「啄木鳥」、「隠沼」、「人に捧ぐ」〕として『明星』(明治三八年十二号)に、啄木の筆名で発表された作品群は、新啄木誕生の記念碑的作品であったが、評者にとっては、飯村裕樹君(現筑波大学院生)と共に『あこがれ』を読むことができた記念の作品群でもあった。以下に示す五編の訳も飯村訳をベースとしていることを記し、同君との貴重な時間を感謝したい。
 
  この胸に恋の炎が燃えているこの一瞬こそが、尊き愛の栄光なのです。
 
  杜に立ちて
 
秋(あき)去(さ)り、秋(あき)来(く)る時劫(じごふ)の刻(きざ)みうけて
五百秋(いほあき)朽(く)ちたる老杉(おいすぎ)、その真洞(まほら)に
黄金(こがね)の鼓(つゝみ)のたばしる音(おと)伝(つた)へて、
今日(けふ)また木の間(このま)を過(す)ぐるか、こがらし姫(ひめ)。
運命(うんめい)せまくも悩(なや)みの黒霧(くろぎり)落(お)ち
陰霊(ゐんりやう)いのちの痛(いた)みに唸(うめ)く如(ごと)く、
梢(こずゑ)を揺(ゆ)りては遠(とほ)のき、また寄(よ)せくる
無間(むげん)の潮(うしお)に漂(ただよ)ふ落葉(おちば)の声(こえ)。
 
ああ今(いま)、来(きた)りて抱(いだ)けよ、恋(こい)知(し)る人(ひと)。
流転(るてん)の大浪(おほなみ)すぎ行(ゆ)く虚(うつろ)の路(みち)、
そよげる木(こ)の葉(は)ぞ幽(かす)かに落(お)ちてむせぶ。│
驕楽(けふらく)かくこそ沈(しず)まめ。│見(み)よ、緑(みどり)の
薫風(くんぷう)いづこへ吹(ふ)きしか。 胸(むね)燃(も)えたる
束の間(つかのま)、げにこれたふとき愛(あい)の栄光(さかえ)。
  (癸卯十一月上旬)

 〔現代語訳〕
秋が去り、秋が来るという[永遠の]時の刻みを受け、
沢山の秋を経て、朽ちた老杉、その[老杉の]洞穴に
黄金の太鼓のほとばしる音を伝えて、
今日もまた木々の間を過ぎてゆくのですか、こがらし姫よ。
運命は窮屈にも悩みの黒霧の中に落ち
悪霊は命の痛みに唸くように、
梢を揺らしては遠のき、また寄せて来ます
尽きることない潮に漂う落葉の声(のように)。
 
ああ、今、来て抱いてください、恋を知る人よ。
生死を繰り返す大波が過ぎてゆく空虚な路、
そよぐ木の葉は幽かに落ちてむせぶのです。│
快楽はこの[落ち葉の]ように沈んでゆくのでしょうか。│ご覧なさい、緑の
香しい風はどこへ吹いたでしょうか。この胸に[恋の]火が燃えている
この一刻、この瞬間こそが、尊き愛の栄光なのです。
          〔明治三十六(一九〇三)年十一月上旬〕


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