2010年 7月 22日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人・春又春の日記〉9 古水一雄 「第四」

     
  「第四」表紙  
 
「第四」表紙
 
  【今回の日記について】

  表紙に「第四」と筆書きされたこの日記には「通巻弐冊」と朱書きされている。「杜鵑(ほとぎす)日記」に継ぐものである。裏表紙には人物の顔が書かれ、絵の下にはアルファベットで「MR.MICHIMATATOKUGIRO」と書かれている。道又姓は、母・徳の姉で伊志の連れ合いの姓である。そして、TOKUGIROとはその伯母の2男で徳二郎のことである。春又春にとっては従兄弟にあたる。

  この日記は明治38年(1905年)5月21日から28日までの8日間の出来事が鉛筆書きされているが、1ページ目に序として次のことが書かれている。
 
  第四トイヒド第三初メノ方二三枚書キテ紛失セシタメ第四ト名ヅクルナリ 
 
  日記の最初11枚には自分の人生観や文学観が書きつづられている。その内容を要約しているのが“感情を以て文学宗教を統一せむとす、これ余の希望なり”の言葉である。ところが、後日その11n分にページの端から端まで一本の抹消線を引いて打ち消しているのである。あまりに観念過ぎることに嫌気がさしたのであろうか。

  21日の日記からは、雫石の西山行きを題材に瀧・田打ち・閑古鳥を詠んで書き連ねている。続いて“日本人が日本文学を知らんで外国文学を気にする”に始まる文学論を15nに亘(わた)って展開している。

  【本文】

  さて、春又春はいち早く夏目漱石に注目している。
  二十八日
     (前略)

  吾レハ漱石ノ文ヲ愛読ス、「ホトヽギス」ノ「吾輩ハ猫デア」モ見タ、「まぼろしの盾」モ見タ、「七人」の「琴のそら音」モ見タ、「学燈」の「カーライル博物館」モ見タ、ソシテ趣味ヲ感ジタ

  注:「我が輩は猫である」明治38年(1905年)10月〜明治40年(1907年)5月ホトゝギスに掲載
    「まぼろしの盾」明治38年(1905年)4月ホトゝギスに掲載
    「琴のそら音」明治38年(1905年)7月 「七人」に掲載
    「カーライル博物館」明治38年(1905年)月不明 「学燈」に掲載
 
  「ホトトギス」も「学燈」も春又春が定期購読していた雑誌である。そこに俳句や短歌を投稿することもあった。「七人」はおそらくそれらの雑誌か新聞広告に出ていたのであろう。発売元に直接注文を入れて手にいれている。読後の感想として“趣味を感じた”として春又春としては高く評価して日記に書き記している。「趣味」の語は春又春が文学作品を評価する際に基準として用いる用語であるが、非常に主観的な基準であり具体的にどのような内容・文体をさすのかは不明である。それはさておき、漱石が正岡子規と親交が深かったことを知っていて身近な作家と感じていたこともあるだろうが、それ以上に春又春が重んじている写生文の典型を感じとったからに違いない。これが春又春の文学的感性であったともいえる。

  さて、いったい写生文とは何か。子規が明治33年(1900年)に新聞「日本」に「叙事文」なる文章論を寄稿しているので、その文章で確認しよう。
 
     
  「第四」裏表紙  
 
「第四」裏表紙
 
  文章の面白さにも様々あれども、古文雅語などを用ゐて言葉のかざりを主としたるはこゝに言はず。将(ま)た作者の理想などたくみに述べて趣向の珍らしきを主としたる文もこゝに言はず。こゝに言はんと欲する所は世の中に現れ来りたる事物(天然界にても人間界にても)を寫(写)して面白き文章を作る法なり。或る景色又は人事を見て面白しと思ひし時に、そを文章に直して讀(読)者をして己と同様に、面白く感ぜしめんとするには言葉を飾るべからず、誇張を加ふべからず、只ありのまゝ見たるまゝに其事物を模寫するを可とす。
    (久松潜一編「日本文学史近代」至文堂よりの引用)
 
  子規は、自然・人事の対象に臨んでの直写を言い、その対象にできるだけ作者の主観を加えず、修飾の加工をなさず、露骨な抒情的要素や戯曲的な構成を避けるという文章表現を追求しようとしたのである。

  子規の文章論に共鳴していた春又春は、夏目漱石の文章にその姿を認め、「漱石ノ文ヲアツメテ『漱石文集』ト名ヅク、コレカラ見当リ次第アツメント思フ」(日記「第五」に「第四」の続きとして書かれている同日の文)と、一層の傾倒ぶりをみせている。

  ところで、石川啄木も日記の中で漱石に触れている。「夏目氏は驚くべき文才を持って居る。しかし『偉大』がない。」(39年日記「八十日間の日記」)、「夏目の『虞美人草』なら一ヶ月で書けるが西鶴の文を言文一致で行く筆は仲々無い」(日記41年5月8日)と述べている。そこには漱石の文才を一応認めながらも“偉大”がないとか“虞美人草なら一ヶ月で書ける”としたためて距離を置いている。この態度や文学観が啄木をして小説家として大成させることなく終わらせた一つの要因ではなかったかと思うのである。

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