2010年 7月 24日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉170 岡澤敏男 賢治のビッグバン〜大正5年

 ■賢治のビッグ・バンー大正5年

  大正5年(1916年)4月、20歳の青年賢治は盛岡高農2年生で自啓寮南寮9室の室長でした。4月13日、9室に迎え入れた新入生5名のなかの一人が賢治の生涯の心の友となった保阪嘉内でした。

  嘉内は山梨県北巨磨郡駒井村(現韮崎市)の出身で大庄屋を務めた旧家の長男でした。賢治と嘉内は生年をともにしながら、嘉内が藤井尋常高等小学校の高等科1年に在籍して甲府中学に進学したので、卒業時は賢治より1年後れていました。ところが賢治が大正3年に盛岡中学を卒業しながら家庭の都合で盛岡高農を受験したのは1年後(大正4年)のことだから、甲府中学を卒業して東北帝国大学農科大学(現北海道大学農学部)を受験した嘉内と同じ年次だったのです。

  しかし嘉内はこの受験に失敗し、1年後の大正5年に盛岡高農農学科第2部に入学することになり南寮9室に入室したわけです。もしも前年の東北大受験に嘉内が合格していたならば、賢治は嘉内と永遠に邂逅(かいこう)する機会を持たなかったのでしょう。自啓寮南寮9室での2人の運命的な出会いは、まさに大正5年の春のことでした。

  入寮後に盛岡高農入学の理由を語り合った座談で、嘉内が「トルストイを読んで百姓の仕事の崇高さを知り、それに浸ろうと思った」と述べたところ、賢治が「トルストイに打込んで進学したのは珍しい」と評したと、9室メイトの岩田元兄が語っている。

  また賢治は短歌で日記をつけていたが、嘉内も同じように短歌で日記をつけていたことを知り嘉内に好意をもったとみられます。

  大明敦氏はこうした二人の関係を「文芸が好きで、宗教や哲学に関心があり、登山が好きで、短歌を創作している。…しかも歳は同じである。話の合う二人の仲が急速に深まっていったことは、想像に難くない」(『心友宮沢賢治と保阪嘉内』)と述べています。さらにこの交友の密度を加速させたのは5月20日の自啓寮懇親会でした。

  嘉内は5月17日に懇親会で南寮9号室のメイトで演じる戯曲(原稿用紙7枚)を書き上げました。「人間のもだえ」と題する一幕物で、舞台は「遠くの国」のこと、時は「夜」。登場人物は9室全員で配役は次の通りになっています。

  ▽全能の神(アグニ)保阪▽全智の神(ダークネス)宮澤氏▽恵の神(スター)岩田氏▽土人 伊藤氏▽英雄 荻原氏▽女 原戸氏

  ストーリーは「アグニ以下三神は人間は救はねばならない存在と考えている。そこに鰐に追われ力を欲する土人、自分に欠けていた愛を求める英雄、わが身の弱さを嘆く女が次々に登場し互いに他を羨む。神たちは他を羨まず自分の道を行け、〈永遠の国〉へ向かえと説く。〈永遠の国〉へいかにして向うのか、という問いに〈お前らは土の化物だ〉〈土に心を入れよ〉と諭し、〈人間はみんな百姓だ。百姓は人間だ。百姓をしろ〉と導いて、人間に力・智・恵を与える。力・智・恵を受けた人間は〈永遠の国、百姓の国〉へと喜び向かって行く」(保阪庸夫・小沢俊郎『宮澤賢治 友への手紙』参考資料)という梗概だったらしい。

  劇の上演ですっかり打ち解けた南9号の寮友6人は、5月27日午後、植物園で記念撮影を行いました。

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