2010年 7月 25日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉7 望月善次 隠沼(こもりぬ)

   隠  沼(こもりぬ)
 
夕影(ゆふかげ)しづかに番(つがひ)の白鷺(しらさぎ)下(お)り、
槙(まき)の葉(は)枯(か)れたる樹下(こした)の隠沼(こもりぬ)にて、
あこがれ歌(うた)ふよ。│『その昔(かみ)、よろこび、そは
朝明(あさあけ)、光(ひかり)の揺籃(ゆりご)に星(ほし)と眠(ねむ)り、
悲(かな)しみ、汝(なれ)こそとこしへ此処(こゝ)に朽(く)ちて、
我(わ)が喰(は)み啣(ふく)める泥土(ひづち)と融(と)け沈(しず)みぬ』│
愛(あい)の羽(は)寄(よ)り添(そ)ひ、青瞳(せいどう)うるむ見(み)れば、
築地(ついぢ)の草床(くさどこ)、涙(なみだ)を我(われ)も垂(た)れつ。
 
仰(あふ)げば、夕空(ゆうぞら)さびしき星(ほし)めざめて、
偲(しの)びの光(ひかり)の、彩(あや)なき夢(ゆめ)の如(ごと)く、
ほそ糸(いと)ほのかに水底(みぞこ)の鎖(くさり)ひける。
哀歓(あいくわん)かたみの輪廻(めぐり)は猶(なお)も堪(た)えめ、
泥土(ひづち)に似(に)る身(み)ぞ。ああさは我(わ)が隠沼(こもりぬ)。
かなしみ喰(は)み去(さ)る鳥(とり)さへえこそ来(こ)めや。
                    (癸卯十一月上旬)
 
  〔現代語訳〕
  隠沼(森の中などに隠れている沼)
 
夕影の中静かにつがいの白鷺が降り立ち、
槇の葉が枯れている樹の下の隠沼において、
あこがれを歌うよ。│『その昔、よろこび、それは
朝明けの中、光のゆりかごで星と眠り、
悲しみ、お前(悲しみ)は永遠にここに朽ちて、
私が口に含む泥土となって溶けて沈んでいったのだ。』│
愛の羽を寄り添い、青い瞳がうるむのを見れば、
棲家の草床で、私も涙を垂らす。
 
仰げば、夕空にはさびしい星が目覚めて、
偲ばれる光は、彩のない夢のように、
細糸がわずかに水の底に鎖になり沈んでいる。
哀しみと歓びがかわるがわる輪廻の如く繰り返されることにも耐えるであろうが、
泥土に似る私の体よ。嗚呼それは私の隠沼、
かなしみをどこかへと持ち去ってくれる鳥など来るだろうか、いや来ない。
            〔明治三十六(一九〇三)年十一月上旬〕

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