盛岡タイムス Web News 2010年 10月 13日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉198 伊藤幸子 茸日和

 樹の間より神のほほゑみ零(こぼ)れたり茸日和(きのこびより)の山道をゆく
                                内藤明

  「角川現代短歌集成」より。〈菌類〉の項に「概念を重たく被り耐えているコンイロイッポンシメジがんばれ」との渡辺松男作品もある。きのこシーズンたけなわだ。

  たしか、三好京三さんの「子育てごっこ」に、にぎやかで楽しい「きのこがり」の場面があったはずと思い、ひさかたぶりにさがしあてて読んでみた。なんておもしろいんだろう。

  「ひ弱なわたしや低学年組は勾配のなだらかな山を歩き、健脚の夫は高学年組を引き連れて、しめじだけではない馬喰茸(ばくろうだけ)とか猪鼻(いのはな)とか呼ばれる、かさが経三十センチにもなる香茸(こうたけ)を求めてずっと奥に入りこみます。しめじなどという高級なきのこは、この分校に勤めるようになってからは、裏山で手軽に収穫でき、山にのぼって林の中を徘徊したり、つつじ株の蔭をのぞいたりしていると、ひどくのびやかな気分になることができました」とは分校の女先生の述懐。収穫がシメジ、香茸から金茸、銀茸に変わってゆく10月も半ばごろの豊かな山の描写がいい。

  昭和50年代、放送作家きだみのるが11歳の少女をつれて、前沢町にやってきた。「無学年」と称して、一度も学校に入ったことのない子を、衣川村の奥の大森分校に入学させる三好先生夫妻。村の子供たちとの生活を描いた「子育てごっこ」で51年、文学界新人賞および直木賞を受賞された。

  「別冊文藝春秋」に発表された「親もどき」では、きだみのるの実像らしきものが見えて興味深い。どうしたわけで78歳の彼が11歳の少女をつれて放浪し続けるのか。分校の男先生の目には、さながら平成の長寿大国のゆくすえが映っているようで考えさせられる。

  「『人間はね、現役でなきゃ意味がないよ。現役のままぱったりさ。そうしたら、子供の世話になるという屈辱なぞ、味わわんですむ』いかにも颯爽としていたが、きだみのるは子供の世話にならない代わり、他国の他人に自分で選り好みしながら世話になっているのであった。」

  そういえば三好先生から頂く年賀状にはいつも「生涯現役」と認(したた)められていた。私は2度、友人たちと前沢のお宅に伺った。2度目の時は「頓証菩提(とんしょうぼだい)」と彫られた墓前だった。世を去られてもう3年、神のほほえみの茸日和が続いている。
(八幡平市、歌人)


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