盛岡タイムス Web News 2010年 10月 20日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉199 伊藤幸子 「いい日曜」

 いい日曜だつたと思ふ何もせず籐椅子で本を読んで寝てゐた
                          辻林美代子

  命とは、時間のことだとよく言われる。すぎて思えば、いい日曜だったと言える一日。目に見える何かをしたわけではない、はりきって研修学習行楽をこなしたことではない。「何もせず籐椅子で本を読んで寝てゐた」一日、そこにえもいわれぬ充足感を感じとれる心の豊かさに感じ入る。私など、つい無為にすごしたと悔やんでしまう。

  辻林美代子さん、多発性脳梗塞(こうそく)を病まれるご主人を介護しながら穏やかに暮らす日常を、第三歌集「さくら小紋」にまとめられたのはことし8月。美しく上品な花柄の表紙、見開きにはご主人製作の欧州風の街の絵が飾られて魅力的だ。

  大正13年生まれの作者、「八十歳祝ぐと賜はる鉢の蘭黄の大輪を夢のごとつづる」「病む夫も無事八十四近間なるホテルにふたりの祝盃挙ぐる」こんなハッピー・ツーショット。「『事件記者』かのなつかしき演者らのひとり見出でつ脳外科の椅子に」東京在住の氏はよく、銀座で芝翫(しかん)さんを見かけたとか文人の誰彼と行き会われた歌を詠まれる。大変な歌舞伎通としても知られ楽しい作品がいっぱい。

  「染五郎の赤毛の仔獅子駆けぬけぬおくれて頬を風がすぎたり」「日に一度魂しぼる演技して日常(つね)いかならむ役者といふは」作者自身は「エプロンをしたままヨハン・シュトラウス聴きつつ観つつうたたねをせり」と、飾らぬところがなんともほほえましい。「リン、ロンと楽隊めぐる時計買ふ病みつつ米寿迎へたる夫」ちっとも暗さのない日常、「このごろは下手になりたり腰入れて気合で返す厚焼玉子」お料理得意な作者、気合が入っている。そして「書も泳ぎもダメになりしと言ふ吾に『料理があるさ』と夫が呟く」いいなあ!女にとって最高の強み、料理の腕をほめられて、これ以上のしあわせがあろうか。

  老々介護といいながらも明るくのびやかな日々をすごされていたが、ご主人は昨年4月、90歳を目前に逝かれた。「〈ねがはくは花の下にて春死なむ〉花の吹雪に逝きたり夫は」を含め辛い挽歌は多くない。あたかも源氏物語の「雲隠(くもがくれ)」の巻のように、美しい幻に偲ぶのみである。「いい一生だった」とかえりみる豊かな世界にあこがれている。
  (八幡平市、歌人)


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