盛岡タイムス Web News 2010年 10月 23日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉183 岡澤敏男 賢治の心象の烏

 ■賢治の心象の烏

  文語詩「烏百態」は、賢治がいかに烏に心を寄せていたのかよくわかる作品ですが、すでに中学時代の短歌において烏への異常な関心を表現しているのです。         歌稿A「明治四十五年四月」

  凍りたるはがねの空の傷
  口にとられじとなく夜の
  からすか

  かたわなる月ほの青くの
  ぼるときからすはさめて
  あやしみ啼けり

  いくたびか愕きさめて朝
  となりしからすのせなか
  に灰雲がつき

  さいかちの実のごとくか
  らすら薄明のそらにうか
  びてもだすなりけり
   歌稿A「大正三年四月」

  ねむそよぎ白雲垂るる朝
  の河原からすのなかにわ
  れはかなしみ

*あけがたの烏にまじり/
  みそぎ居れば/ねむの林
  に垂るる白雲 *歌稿B

  この時期の賢治は進学できず、後継者として家業にもなじめず、未来への閉塞(へいそく)感からメランコリー(鬱状態)にあって烏を同一視したのでしょう。自己の象徴的表現として詠まれているのです。

  高農に進学を許された後は精神状態が安定した賢治にとって烏はもはや同一視の対象ではなかった。しかし卒業後は研究生として学内に残り稗貫郡土質調査に従事したが、健康に疑念をもち将来の職業をめぐり思い悩むのです。その心情が「錫病の空」や「桐の梢」となって烏が飛来するのです。

   歌稿A「大正七年五月以降」

  錫病のそらをからすが二
  羽とびてレースの百合も
  さびしく暮れたり

  編物の百合もさびしく暮
  れ行きて灰色錫のそらと
  ぶからす

  みそらよりちさくつめた
  き渦降りて桐の梢にわな
  なくからす

  さらに「冬のスケッチ」といわれる49枚の短唱群の10カ所に烏の記述がみられる。この短唱群は短歌制作から口語自由詩(『春と修羅』など)制作に移行する過渡期の習作とみられ、短篇「沼森」「柳沢」などと同一原稿用紙を使用しているので大正10年〜11年ころに書かれた短唱群と推察される。

  おおよそは「首を動かし」「騒ぎ」「水を飲み」「からだ折れよと鳴き」とか「そらにて争へる」烏たちのさまをスケッチしているが「三疋の/さびしいからす/三人のげいしゃのあたま」と烏を芸者の頭に見立てた珍しい表現もある。なかでも「からす、正視にたへず、/また灰光の桐とても/見つめんとしてぬかくらむなり」には「桐にわななく烏」が再現され、「からすはなほも演習す」には童話「烏の北斗七星」の義勇艦隊の先駆的な発想がみられるのです。

  このように賢治における「からす像」は、人の食べ残しを漁る不吉な烏ではなく、自己の象徴的表現としての不遇でさびしいイメージをもつ烏であったと思われます。稗貫郡土質調査の最中に創作した童話といわれる「双子の星」にも烏座の大烏の星が登場します。

  この水瓶座や蠍(さそり)座とからむ愛くるしい天体ファンタジーは、やがてヒューマニズムあふれる童話「烏の北斗七星」を生み出す先駆的な発想だったとみられます。

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします