盛岡タイムス Web News 2010年 10月 24日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉29 望月善次 夢の花

 各連最後のリフレイン等、蒲原有明からの影響も指摘されている作品。しかし、そうした類似を越えて啄木の独自性も示されている。なお、展開は、百合の花の開花から萎れるまでを、暁から夜への時間軸によりながらなされている。
 
まぼろし縫(ぬ)へる
白衣(びやくい)透(す)き、ほのぼのと
愛(あい)にうるほふ、それや白百合(しらゆり)、
青緑(みどり)摺(す)りたる
弱肩(よはがた)の羅綾(うすもの)は
夢(ゆめ)の焔(ほのお)の水無月(みなづき)日射(ひざし)、
揺(ゆ)れて覚(さ)めにき和風(やはかぜ)に、
眠(ねむり)ま白(しろ)き夏(なつ)の宮(みや)。
   (ああ我(わ)がいのち
    夏(なつ)の宮(みや)。)
 
夢(ゆめ)は破(やぶ)れき。
ああされど、(この姿(すがた)、
この天(あま)けはひ、現(うつゝ)ながらに、)
こころ深(ふか)くも
夢(ゆめ)は猶(なお)、玉渦(たまうづ)の
光(ひかり)匂(にほ)ひの波(なみ)わく淵(ふち)や。
姫(ひめ)は思(おも)ひぬ、極熱(ごくねつ)の
南(みなみ)緑(みどり)の愛(あい)の国(くに)。
   (ああ我(わ)がいのち
    愛(あい)の国(くに)。)
 
光(ひかり)の唇(くち)に
曙(あけぼの)ぞよみがへり、
青風(あをかぜ)小琴(をごと)ただよふ森(もり)に、
逝(ゆ)きてかへらぬ
夢(ゆめ)の夜(よ)の調和(とゝのひ)を
あこがれうるみ露(つゆ)吹(ふ)く声(こえ)に
姫(ひめ)はうたひぬ、驕楽(きやうらく)の
逝(ゆ)きてかへらぬ黄金(こがね)の世(よ)。
   (ああ我(わ)がいのち
    黄金(こがね)の世(よ)。)
 
葉(は)を蒸(む)す白昼(まひる)、
百鳥(ももどり)の生(せい)の謡(うた)
あふれどよめく緑(みどり)揺籃(ゆりかご)の
枝(えだ)洩(も)れて地(ち)に
照(て)りかへる強(つよ)き日(ひ)の
夏(なつ)をつかれて、かほる吐息(といき)に
姫(ひめ)は悵(いた)みぬ、常安(とこやす)の
涼影(すゞかげ)甘(あま)き詩(うた)の海(うみ)。
   (ああ我(わ)がいのち
    詩(うた)の海(うみ)。)
 
山波(やまなみ)遠(とお)く
沈(しず)む日(ひ)の終焉(をはり)の瞳(め)、
今(いま)沈(しず)みて、焔(ほのお)の白矢(しらや)、
涯(はて)なき涯(はて)を
わかれ行(ゆ)く魂(たま)の如(ごと)、
うすれ融(と)け行(ゆ)く地(ち)の黄昏(たそがれ)に
姫(ひめ)は祈(いの)りぬ、大天(おほあめ)の
霊(れい)のいのちの夢(ゆめ)の郷(さと)。
  (ああ我(わ)がいのち
   夢(ゆめ)の郷(さと)。)
 
ひと日(ひ)、日(ひ)すでに
沈(しず)みゆき、乳香(にふかう)の
夜(よる)の律調(しらべ)を恋(こ)ふ百合姫(ゆりひめ)が
待夜(まちよ)ののぞみ、
その望(のぞ)み先(ま)づ破(や)れて、
暗(やみ)に楯(たて)どる嵐(あらし)の征矢(そや)に
姫(ひめ)はたをれぬ、残(のこ)る香(か)の
いと悵(いた)ましき夢(ゆめ)の花(はな)。
  (ああ我(わ)がいのち
   夢(ゆめ)の花(はな)。)
 
水無月(みなづき)ふかき
森(もり)かげの一(ひと)つ百合(ゆり)、
見(み)えて見(み)えざる世(よ)にあこがれし
ああその夢(ゆめ)の
瞿粟花(けしばな)のにほひ羽(ばね)、
あまりに高(たか)く清(きよ)らかなれば、
姫(ひめ)は萎(しを)れぬ、夜嵐(よあらし)の
妬(ねた)みに折(を)るる信(しん)の枝(えだ)。
  (ああ我(わ)がいのち
   信(しん)の枝(えだ)。)
 
香柏(かうはく)の根(ね)に
(幻(まぼろし)や、げに)あはれ
夢(ゆめ)の名残(なごり)を葬(ほう)むり去(さ)りて、
去(さ)りて嵐(あらし)の
血(ち)寂(さ)びたる矢(や)叫(さけ)びは
いづち行(ゆ)きけむ。|ただ其(その)夜(よ)より
姫(ひめ)は匂(にお)ひぬ青玉(せいぎよく)の
天壇(てんだん)い照(て)る芸(げい)の燭(しよく)。
    (ああ我(わ)がいのち
    芸(げい)の燭(しょく))
           (甲辰(きのえたつ)五月十一日夜)
 
「夢の花」〔現代語訳〕
 
幻を縫い込んだ
白衣は透き通り、ほのぼのと
愛に潤っているのは、白百合なのです、
青緑色を摺った
なで肩にかかっている薄物は
夢の焔のように、水無月の日射しの中、
柔らかい風に揺れて、目覚めたのです。
ああ、眠りも、真っ白だと言ってよい夏の宮よ。
   (ああ、私の命なのです
    夏の宮は。)
 
夢は終わったのです。
ああ、しかしながら、(この白百合の姿は、
天の様子もそのままに、)
心も深く
夢は依然として、玉の渦の
光が匂ひ、波も湧く淵にも喩えられるのです。
(百合)姫は思ったのです、灼熱の
南国の緑に囲まれた愛の国のことを。
   (ああ、私の命なのです
    愛の国は。)
 
光の唇に
曙が甦り、
青い風が、小琴のように漂う森に、
行ってしまって戻ってこない
夢の夜の調和を
憧れ、潤って露を吹く声に
姫は歌ったのです、驕楽の
行ってしまって戻ってこない黄金の世のことを。
   (ああ、私の命なのです
    黄金のは。)
 
(暑さにより)葉を蒸す白昼に、
沢山の鳥は、生命の歌を歌い
(森は)その声で溢れ、どよめいている緑の揺り籃です
枝から洩れて地に
照りかえす強い日もある
夏に疲れて、香りある吐息で
姫は恨んでいるのです、常に安らぎのある
涼しい影や甘い詩の海を。
   (ああ、私の命なのです
    詩の海は。)
 
山波も遠く
そこに沈んで行く日は、終焉の瞳のようです、
今こそ沈んで行くのですが、それは焔の白矢にも似て、
終わりなき終わりを
別れて行く魂のようで、
薄く融けて行く大地の黄昏に
姫は祈ったのです、大天の
霊の命である夢の郷のことを。
  (ああ、私の命なのです
   (霊の命である)夢の郷は。)
 
一日の、日は既に
沈んで行き、乳香の
夜の律調を恋しく思う百合姫は
待ち望んだ夜に希望を抱いたのですが、
その望みは、破れてしまい、
闇を楯のようにして迫る嵐の闘いの矢に
姫は倒れてしまったのです、そして残る香りが
いと痛ましいき夢の花として漂っているのです。
  (ああ、私の命なのです
   (姫の残り香の)夢の花。)
 
水無月も深い
森の蔭の一本の百合よ、
見えて見ええない世界に憧れたのですが
ああ、その夢は
瞿粟の花のような匂い溢れる羽にも喩えられます、
(それは)余りにあまりに高貴で、清らかなものですが、
姫は萎れてしまいました、(それはまるで)夜の嵐の
妬みに折れてしまった、信ずることの枝のようなものです。
  (ああ、私の命なのです
   信ずることの枝は。)
 
香り高い柏の根に
(ああ、それは幻でしょうか)ああ、
夢の名残を葬むり去って、
去った嵐の
血で荒れた(戦闘の)矢の叫びは
何処へ行ったのでしょうか。|ただ、其の夜から
姫は匂いを放ったのです、青色の宝玉で造られた
天の祭壇を照らるる芸術の燭として。
   (ああ、私の命なのです
    芸術の燭こそは。)
              (明治五月十一日夜)

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