盛岡タイムス Web News 2010年 10月 31日 (日)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉30 志(し)らべの海 望月善次

淡紅染(ときぞ)め卯月(うつき)の日(に)に酔(え)ふ香樺(にほひかば)の
律調(しらべ)のあけぼの漸(よう)やく春(はる)ぞ老(お)いて、
歌声(うたごゑ)うるむや、柔音(やはね)の海(うみ)に深(ふか)く
古世(ふるよ)の思(おもい)をうかべぬ。|ああほのぼの、ゆらめく芸(たくみ)の焔(ほのお)の波(なみ)の中(なか)に、
花摺(はなずり)被衣(かつぎ)よ、行(ゆ)きても猶(なお)透(す)きつつ、
(心(こころ)は悵(いた)みぬ、ああその痛(いた)き姿(すがた)。)
五百年(いほとせ)あらたに沈淪(ほろ)べる愛(あい)を呼(よ)ばふ。
 
凝(こ)りては瞳(ひとみ)の暫(しば)しも動(うご)きがたく、
芸(たくみ)の燭火(ともしび)しづかに我(われ)を導(ひ)きて、
透影(すいかげ)羽衣(はごろも)光(ひかり)の海(うみ)にわしる。
見(み)よ今(いま)、やはら手(で)転(てん)ずる楽(がく)の姫(ひめ)が
眼光(まなざし)みなぎる天路(あまぢ)の夢(ゆめ)の匂(にほ)ひ、
光(ひかり)の揺曳(さまよひ)流(なが)るる律調(しらべ)の海(うみ)。
                (甲辰(きのえたつ)五月十五日)
 
  「志らべの海」〔現代語訳〕
    ((「常磐懐孤」の曲を奏でる)上野女史に捧げたいと思い
     ます。)
 
淡い紅色に染まった四月の日に酔って、良い香りを放つ樺の木の
調べが流れる曙は、漸やく春も深くなり、
(樺の木の)歌声も潤んだのでしょうか、その柔らかい音の海に深く
古くからの思いをも浮かべたのです。||ああ、ほのぼのと、
ゆらめく芸術の焔の波の中に、
花を摺ったものをかぶっている者(歌姫)よ、(その音は)行ってしまっても、
       なお、透き透って、
(心は痛むのです。ああ、その痛々しい姿よ。)
(古い)五百年の時間を新たにするように、滅んでしまった愛を呼ぶのです。
      
集中して、瞳を少しの間も動かすことができないほどに、
芸術の燭火は、静かに私を導いて、
(あの花摺被衣は)透き透った光の羽衣のように、光の海を走るのです。
ご覧なさい、今、柔らかい手で演奏する音楽の姫の
眼差しは、満ちています、天の路の夢のような匂いに。
ああ、光が揺曳し、流れている律調(しらべ)の海よ。
                (明治三十七年五月十五日)

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