盛岡タイムス Web News 2010年 11月 11日 (木)

       

■ 〈春又春の日記〜肴町の天才俳人〉17 古水一雄 「第九」

 「筆談その七」と添え書きされたこの日記は、7月17日から8月1日までの26日間の記述である。序文には「消スモ易カラズ、写スモ易カラズ、消シテキタナイト思フハ月並ナリ、写シテ奇麗ト思フハ厭味ナリ」と書き入れている。

  「第九」には久々に俳句を吟じてノートに書いているが、短歌の数は急速に減じている。おまけに22日に届いた「アシビ」第2の4には歌仲間の高橋楓岡はじめほかの知った歌人の歌が掲載されているのに、自分の短歌は一首も掲載されていない。思わず「さびし」の言葉が口をついて出る。

     
  「第九筆談その七」(盛岡てがみ館収蔵)  
 
「第九筆談その七」
(盛岡てがみ館収蔵)
 
  実は、このようなさびしさをまぎらそうとしたのか、8月1日の日記には次のように書き記している。
 
  旅行ノ支度ニテヒネモスウラウラス、オ
  苗サン来ル、菅笠、茣蓙ナドモトム、夜
  東風兄ヲ訪フ、趣味ニ就キテ争論ス、
 
  次のページからは旅先から出した手紙の下書きが続いている。旅の目的地は秋田県の鹿角地方(現鹿角市付近)である。鹿角は江戸時代には盛岡藩の所領であった。また、2代目庄兵衛・友吉の生まれ育った土地でもある。鹿角地方には中学生の時分(明治34年7月)に父の名代として一度を訪れている。

  手紙の下書きの日付は8月3日になっている。家元(生家)には次のように書き送っている。
 
      一家元ェ
  朝ハ曇リテ風涼シク午近キ頃松尾ノアタ
  リ菅笠茣蓙を初メテ雨ニ打タレ申シ候、
  大葉谷地赤坂田ノ峠ニカゝリ雨晴レ候、
  峠茶屋ノ渋茶十杯今ニ忘レラレズ候、八
  里ハ何ンノト地図上ノ考ト大ニ違何デモ
  タス(シ)カニ十五里以上アルイタ筈ニ
  候、三時半荒屋ノ町ガ見イ候時ハ棒ノ如
  キ脚モ勇ミ申シ候ヘキ、旅舎ニ入リテ茶
  ヲカブカブろこじん(注:次弟・庄次郎)
  モカブカブ飲ンデ只今ろこじんは先ニ小
  生ハアトニ入浴ヲ済マシ候、明日ハ田山
  ヲヘテ五里花輪ノ里
 
  下書きは、東風や雲軒宛もある。それによると盛岡からは汽車に乗り好摩で降りて、好摩からは徒歩で花輪を目指している。昼近く松尾の辺りで雨に降られ、赤坂田の峠でやっと雨はやむ。よほどのどが渇いたとみえて峠茶屋では渋茶を10杯もたて続けに飲んでいる。

  地図のうえでは8里(1里はおよそ4`b)であるが、倍近くの15里も歩いたような感じで、脚は棒のようであったとある。好摩から荒屋までの間、歌を作る気には毛頭ならなかったというからよほどきつかったのであろう。
 
  4日。荒屋を出立するがまたもや雨である。9里の行程をこなし、3時に花輪に着いている。少し余裕がでたのか東風、楓岡、徳平居士に歌一首を送っている。
 
  さらさらや菅笠の雨向つ根の山霧飛びて
  吾が茣蓙の風
 
  宿を提供してくれた親せきの家ではさらに6首を詠んでいる。
 
  5日。9里の行程を大館に向かう。宿は大館の1里手前の扇田である。東風には「平凡な旅ではあるが壮大な夕立に遭い本日の特筆すべき趣味を感じた」と伝えている。
 
     一、家元ェ
   本日ハ朝早ク出立行程七里扇田ニ着任
   候、明日大館ヨリ能代迄汽車ニ致スベ
   ク候 匆々
 
  6日。早朝扇田を出立して大館に至り、大館からは汽車で能代の着く。そこからはまた徒歩で八郎潟に向かうが、西岸に出るつもりが道に迷い北岸に出てしまっていた。鹿渡(かど)という停車場のある村に宿をとることになったときにはもう暮れの6時になっている。

  6日以降の下書きは途切れている。というよりははがきが自宅に着く前に帰宅するはずだから便りを出す必要がなかったのだ。日記に書き付けられた短歌や俳句から推測すると、鹿渡から奥羽本線で南下し秋田を通過して横手まで脚を伸ばしたようである。そして横手の馬喰宿に投宿している。
     
  はがき・春又春から4代目庄兵衛宛(明治34・7・7)〈複製〉(盛岡てがみ館収蔵)  
 
はがき・春又春から4代目庄兵衛宛(明治34・7・7)〈複製〉
(盛岡てがみ館収蔵)
 
 
     横手ノ馬喰宿ニテ読メル
  シミゝ降ル雨ノシゲキニ父母ハ六日ノ旅
  ノ吾ヲ待ツラムゾ
 
  雨に降られることの多かった旅であったので、家では父母がさぞや春又春を待っているに違いないと詠んでいるが、里心がついたとみえなくもない。

  さて、帰家の当日である。和賀仙人と黒沢尻(現北上市)間の和賀軽便鉄道が開通したのは明治40年(1907年)であったから、おそらく和賀仙人の峠を徒歩で越え、湯田川尻(現西和賀町湯田)を経て黒沢尻駅(現北上駅)から東北本線の汽車に乗って帰宅したものと思われる。6日間の旅を通して作られた短歌は24首、俳句は5句であった。

  後日、この旅を振り返り「七日七夜涼シキ雨ノ旅ナリキ」(日記「第十」8月13日)
と吟じ、涼味の深い旅であったことを回想して左千夫にも書き送っている。


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