盛岡タイムス Web News 2010年 11月 17日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉203 伊藤幸子 銀杏落葉

 踏み行くは惜しとふ浄き声きこゆ地に照り明る銀杏もみぢ葉
                                    砂田彫子

  イチョウもみじの季節になった。さながら順序が決まっているかのように、カキもポプラもホウの葉も落ち、カツラの丸い葉も散った。やや遅れてイチョウの太幹がやおら合図の声をかけたのか、一斉に散り始めた。空も大地も光の渦。カラマツの針でなく、ホウ葉の広すぎる面積でなく、銀杏葉のどこにも尖った角のない純黄の質感が実にいい。

  「ワァー、きれい。踏むの、もったいねえ!」と銀杏落葉に歓声をあげたのは登校の子供たちか。作者は常臥(とこぶ)しの障子ごしに聞いている。大正3年、鳥取県倉吉市生まれの砂田彫子さん。小学5年生、10歳の時発病、16歳ごろには歩行不能となり、以来50年余病臥の身となられた。

  終戦後、知人のすすめにより白秋門に入会。「多摩」解散後は「コスモス」短歌会員となる。私は直接お会いしたことはなかったが、常に周囲の方々から、まるで隣町で療養のような気安さで「彫子さんがねえ」と語られるのを聞いた。

  「ペン持てどもてどほろりと零(こぼ)れ落つはがき一枚書きなづみつつ」「些細なる用頼まむを幾たびかためらひてのち耐ふるあけくれ」それでも母上がご存命中はよかったが、40歳の時死別。「数へ年十九の秋ぞさりげなく共に死ななと言ひましき母」この「さりげなく」の意味。背筋にゾクッと冷たいものが走る。

  「あな眩(まぶ)し春陽あまねき大空に空中婚なす蜜蜂の群」「胸熱き恋をせしやと人問ふに無しといらへつさびしかれども」母上亡きあとはヘルパーさんの介護でひとり暮らし。仰臥のお写真は二重まぶたの童女の明るさだ。

  「褐色の艶帯びてあり五十年わが手となりしこの苦(にが)こ竹」の歌30首にて、昭和57年、大きい賞を得られた。「苦こ竹」とは、周辺の人に作ってもらった孫の手のような竹棒で、寝ていてさまざまな用を足されたという。

  そして63年冬夜、予期せぬ凶事。自宅からの出火により全焼、焼死、74歳。全国の会員に衝撃が走った。私はその数カ月後、山形の陸羽西線で偶然鳥取県警の方と乗り合わせ、導かれるように聞かされた倉吉火災の顛末(てんまつ)に言葉を失った。弔問に行けなかった私に何よりの供養となり人生の奇縁に感じ入った。掲出歌は砂田家跡に建立の歌碑に彫られたものである。
(八幡平市、歌人)


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