盛岡タイムス Web News 2010年 11月 25日 (木)

       

■ 〈春又春の日記〉18 古水一雄 「第十」 鉄幹ノ新体詩何等ノ醜ゾ

 「第十」は表題に古柵里人の雅号が添えられている。通巻九冊で8月13日から28日までの16日間の日記である。鹿角行きを回想する短歌や俳句の後に太閤さんという久保庄に出入りする太閤さんと呼びならわしている老大工の仕事振りや立ち居振る舞いについてひとしきり書き付けている。
 
     
  「第十筆談その七」盛岡てがみ館収蔵  
 
「第十筆談その七」盛岡てがみ館収蔵
 
  8月19日には突然「明星」の記事が表れる。
 
   今月ノ「明星」ヲ小田島書店ヨリトル、
   今月ヨリ購読スルツモリナリ、鉄幹ノ
   新体詩何等ノ醜ゾ、敏(上田敏)氏ノ
   訳詩月並ミノミ、敏氏ニ告ゲンカ曰ク
   俳句ヲ学ベ
 
  今月の「明星」とは、明治38年(1905)八月号である。目次を見ると次の内容である。
 
  風景(絵画表紙裏版)    丸山健策
  なつばな(巻頭欄画)    和田英作
  『二十五弦』を読む(批評) 蒲原有明
  小曲拾首(長詩)      平野萬里
  風景(絵画)        丸山健策
  荒磯(美文)        梧桐夏雄
  短調三首(長詩)      川上櫻翠
  火の泉(長詩及短歌)    茅野蕭々
  日蓮雨乞(脚本)      山崎紫紅
  夏の夜(短詩)     おもわれびと
  『悲恋悲歌』を読む(評論) 武田木兄
  少女草(長詩)       江南白雪
  『ブラウニング』の詩(批評)大井蒼梧
  駁信(評論)        岩野泡鳴
  まぼろし(長詩)      飯嶋白圃
  信姫(長詩)        末吉詩華
  夏の夜(長詩)        宗古江
  白鳩(長詩)        佐藤石門
  春野(長詩)        内海信之
  風景(絵画)        丸山健策
  新聞記者の無識(評論)    平出修
  韻文と技巧(評論)       同人
  物知らぬ人(評論)       同人
  村雨会演劇(批評)     花村静枝
  文学同好会演劇(批評)     同人
  夕舟(短詩)       神原彩翅等
  みじか夜(短詩)     金星会同人
  猫(小説)         なにがし
  風景(絵画)        丸山健策
  まくわ瓜(長詩)      與謝野寛
  池のほとり(長詩)       同人
  真昼(訳詩)     文学士 上田敏
  篠懸(訳詩)          同人
  ショパンの即興楽をきゝて(訳詩)同人
  わすれなぐさ(訳詩)      同人
  伴奏(訳詩)          同人
  木版彫刻          伊上凡骨
  木版着色印刷          同人
  写真版印刷        原田印刷所
  活版印刷           成功堂
 
  一体春又春は何に興味を持ったのであろうか。8月19日の日記の文面からするとわざわざ気に入らない文章を読むために購読するはずはないであろう。また、「明星」の9月号を調べても連載となっている作品はないのである。そうだとすると文章以外に興味を示したとしか考えられない。

  春又春は、これまでも中村不拙の日本画などに興味をもっていたが、想像するに明星に掲載されている西洋画にも興味をもったからではないか。「アシビ」などでは見ることができない絵画に出会い斬新な色彩感や構図に関心をもったとしても不思議はない。
 
  2日後の21日には“阿倍君ニ「小天地」の躰(体)裁ヲ聞ク”と書き付けている。“阿倍君”とは誰のことか。大谷利彦は「啄木の西洋と日本」の中で次のように述べている。「庄太郎(春又春の幼名)『小天地』のことを聞いた「阿倍君」が、この阿部修一郎かどうか断言できないが、小学校以来の同窓という点から、一応その可能性は考えられる。云々…」。

  おそらくそれはありえないであろう。

  というのは啄木が結婚式をすっぽかしたことに立腹し、8月2日に東京で伊藤圭一郎・小沢恒一・阿部修一郎・田鎖徹郎がユニオン会の例会で啄木を会から除名することを決議しているからである。

  阿部修一郎がおめおめと啄木の小天地社に出入りするはずもなく、『小天地』の体裁などに興味を示すわけはない。盛岡てがみ館でこのことを検討したときの結論。

  まず「阿倍君」なる人物は春又春の周りにはいない。春又春の周りにいた「阿部君」とは誰か。阿部姓で久保庄に出入りする人物に阿部泥牛がいるが、春又春は泥牛の居丈だかな態度をひどく嫌っていて親しく言葉を交わすことがなかったから泥牛はあり得ない。(泥牛は『小天地』に自分の雑誌「泥牛」の広告を掲載している)

     
  「小天地(復刻版)」都南歴史民俗資料館所蔵  
 
「小天地(復刻版)」都南歴史民俗資料館所蔵
 
  久保庄への出入りは確認できなかったが、泥牛の弟の月城(げつじょう)は盛岡中学校で春又春と同学年であり、『小天地』の編集に深くかかわっていたことが知られているので、くだんの“阿倍君”とは阿部月城とみなしてほぼ間違いないと、話を落ち着けた。

  この回の原稿を書くにあたって、『小天地』の編集後記ともいえる社告のなかに啄木の次の記述も確認できた。
 
  (前略)たゞ之等の際に當り、寄稿家諸氏の深き同情と、豊巻剛、岡山月下、小林花京、阿部月城等諸君の注意深き盡(尽)力によりて、初號(号)茲に恙なく呱々(ここ)の聲(声)をあぐるに至れり。(中略)阿部君が任地に赴くの途次、萬(万)事を犠牲として務められたるとは、余の厚く感謝する所に候。
 
  と月城に対してねぎらいの言葉を記している。

  それにしても春又春の学友である豊巻剛や内田秋皎らが名を連ね、なかでも親友の星山月秋が「夏秋雑草」の俳句を発表しているにもかかわらず、春又春の日記には『小天地』に関する記述が一切見られない。

  おそらく阿部君に体裁を聞いた時点で、鉄幹をはじめ明星派の重鎮が名を連ねる『小天地』に拒否反応を示したに違いない。春又春の、明星派と啄木への反発はなお根強いものがあったのである。

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