盛岡タイムス Web News 2010年 11月 26日 (金)

       

■ 〈野村胡堂、学友たちの手紙〉1 八重嶋勲 謹奉賀新年、貴君の勉強を祈る

     
   
     
  野村胡堂あての友人ら関係者約600人からの書簡2078通が、几帳面な胡堂自身とハナ夫人によって大切に保管されていた。現在は野村胡堂・あらえびす記念館に保存されている。そのうち217人、238通を選んだ『野村胡堂・あらえびす書簡集』が、平成16年に紫波町から発行され、さらに、私が解読し解説を加えた「父からの手紙h野村胡堂に注いだ愛情」318通を、平成17年4月から平成21年11月まで、241回にわたって盛岡タイムスに掲載していただいた。

  このたびは、胡堂の岩手県尋常中学校(後盛岡中学校と改称)・東京第一高等学校・東京帝国大学時代の学友たちの手紙、562通を、野村胡堂・あらえびす記念館のご了解をいただき、盛岡タイムスに連載していただくことになった。

  先の「父からの手紙」、そしてこのたびの「学友たちの手紙」から野村胡堂の青春像、ひいては人間形成の様子がありありと見えてくると思う。そして胡堂を取り巻く、多くの学友たち、例えば歌人石川啄木、文学博士・文化勲章受章者金田一京助、海軍大臣及川古志郎、医学博士・文化功労者小野寺直助、代議士・衆議院議長田子一民らが切磋(せっさ)琢磨し大きく成長してゆくありさまも垣間見ることができるのである。

  「父からの手紙」は、幕末生まれの父長四郎の毛筆の候文は、その翻刻だけでは理解し難かったのでさらに解読をし、解説を付したので紙面を大きく使った。

  しかし、今回の「学友たちの手紙」は、近代的な字句の使用となってきており、原文のままでも読むことが可能であるので、翻刻に、若干の解説を付す方法で進めたい。

  ただし、学生たちの手紙のため、字句の判読が困難であり、私の能力の可能な限りの字句を当ててみるものの、文章上つじつまの合わないところが多々あることを、前もってお断りしておきたい。
 
  ■1 はがき 明治30年1月1日付
 
宛 陸中國盛岡市四ッ家町 猪川静雄方 
   野村長一
発 東京市赤坂区仲ノ町十番地 相羽方
 
謹奉賀新年
併貴君之勉強を祈
  明治丗年一月一日
   東京市赤坂区仲ノ町十番地 相羽方 長谷川愛男
 
  【解説】長谷川愛男は同郷彦部村定内屋敷(盛岡藩家老二代目中野吉兵衛家臣の住居群)の出身と思われるがはっきりしない。長一15歳、岩手県尋常中学校留年1年生。
 
  ■2 半紙 明治30年7月30日付
 
宛 紫波郡彦部村 野村長一
発 陸中國稗貫郡石鳥谷 後藤清三郎方清造
 
  拝啓御手紙難有拝見仕候、如仰怠さいとはげしく候處貴兄ニは愈御清祥之趣誠に羨敷くもまたおめでたく存上申候、次ニ小生は御存じ乃通頭と脚とにたヽられ薬相のみ候も少しもきヽめなく土用休みの中ニ何やら物せばやと思ひ候へしも、水の泡すべ候、医師よりハ書を見るをやめよとの話ニハ御座候へ共争でか忍ぶを得ん、此頃は昼ねなどハ仕度ハ毛頭無之種々の書とにらみあへの体ニ有之候、されど此間ハかまどの女子二人にて来て文ども教へてとの願ひニもただ頼は早速諾がひ課業終ればかるたとり、ぼうじ(ず)、など尚ほ其の他色々の事致し居り候、また医師のすヽめにて朝早く起き朝日の出づると共ニ水浴仕充分頭脳冷し申居候、爾来毎日四回位ハ定例として水浴仕るも流石ハ脚気ノ道人のおはことてフンバル力更ニなく泳がんとするも能はず唯背中を黒くし目(日)ニハやけてひりひり痛み居申候、
  偖説さるニ君ニはいとすこやかニおはし今日此頃ハ昼ね博士と学位ハ下らんとし大将軍猪狩氏をさへ後へニへこます其意気込且ツは大傑作をとうなり出され候、其御頭脳実に実にうらやましく存上申候、小生も何しろ早く療養全癒愉致し不及ながら何かを作り出候へ、うらわか草へ投書せまほしく存居候、
  尚ほ過日猪川鈴木猪狩の一行待ちニ待つ處へ御出でありしかばあなうれしやと永く御とめ申さんと思ひ待而も不能、さてハ猪狩をたてヽ後他の二氏と共ニ君を訪はヾやと思ひしニ母と兄とハ父の居らざる處ニて他出ハならんとの仰いなみ難く二氏をして君の處ニ行かしめてけり、さぞさぞおん楽しくあらせられしならんとくれぐれもうらやましく思ひ存候、

  また中学のベースボールレースニ付テハ態々の御知らせ誠ニ御心の程難有奉願上、されど是は岩館の話によれバ弘前之中学校長ニハ競争を許さヾる趣なれど生徒等ハ又学校ニ関せし事ならずやるべしとていひてこせし由なれどむしろやめとなせとて断念致し教師をもすでニ返し撰(選)手もそれぞれ御帰りとの事ニ御坐候、されど他に用事もあれバ出盛はし度ハ候へ共如何ニなるべき哉難計候がもしも君ニハ其他の御用向も有りて御上盛ならば我級の順番及び我塾生のも御知らせ被成下度奉願上候、

何卒来月ハ御出遊相成度折角□をり御待申上げ候、昨日川村清一様と面晤致候處が同君ニハ君ニハ未だ小説を読み居るやなど御話有之他日各を挙ぐる正ニまつべきなりと申され候、又語ハ懸賞小説ニうつり候處萬朝報の懸賞小説ハ仙台之高等学校の学生が間ニ投じて十圓頂戴すと申され居候、一寸御知らせ迄かくなん

  八犬傳を菊池へとへ□し候、かりし事ノなしとの事ニ御座候、就てハ山田が例のほらと存ぜられ居候、元々さりとハ思ひ候へしも事のつひでニ申せしニ態ニ案の条ほらニ御坐候、小生も近日中ニハ或は御訪問仕るやも難計ニ付き右様御承引被成下度候、

  右色々粗筆はたらかせ候、随分御判読の程幾重ニも奉願上候草々
                 清造拝
     
  紫波町彦部の定内屋敷  
 
紫波町彦部の定内屋敷
 
  のむら様
   貴下
 
  【解説】後藤清造は、紫波高等小学校からの友で、明治35年、長一と同時に盛岡中学卒。後に日本電力黒部鉄道取締役となった実業家。夏休み中、脚気の療養をしている様子を伝えている。また猪川浩、鈴木通、猪狩見龍が遊びにきて、そのうち猪川浩、鈴木通の二人が長一の家に向かったようである。文中遠征してきた弘前中学校との「ベースボールレース」が弘前中学校長の許しがなく中止となったとある。そのころまだ「野球」という呼び方が普及していなかったようである。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします