盛岡タイムス Web News 2011年 1月 1日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉193 岡澤敏男

 ■ふたりのタネリ

  エーミス・ケストナー作『ふたりのロッテ』をもじったわけでないが、賢治にタネリを主人公にした2篇の童話があるので「ふたりのタネリ」と名づけたまでのことです。

  ケストナーの『ふたりのロッテ』は第2次世界大戦が終ってから発表されたもので、賢治はもちろん手にすることはなかったはずの児童文学です。ところが、賢治の「サガレンと八月」(以下「サガレン」と略称)にはケストナーの『ふたりのロッテ』と同様に物語に入る前に前口上風の導入部がついていることに気付きます。

  「サガレン」は中途まで書かれた未完成作品、草稿は用紙6枚でその6葉目の途中で中断しているが、導入部が3葉目の初めまで占めていることが「校本」にみられます。「その点から考えると、当初はかなりの規模の作品として構想されていたもののよう」だと伊藤真一郎氏は指摘する。

  さらに賢治が「第一葉の題名の右側に、赤インクで大きく、要保存、胚なり」と記入したのは「この作品の一部乃至全体を生かしてさらに展開する意図が示されている」と天沢退二郎氏は述べ、主人公名「タネリ」が共有し「そのタネリが母親の警告の語を背に出かけて行く設定」が共有することに触れ、「サガレン」と「タネリは」の関連性について指摘しているのです。

  たしかに両作品は少年の主人公「タネリ」によって展開するドラマであり、「母の警告の語を背に出て」行き、また「犬神」に遭遇するという首尾の構成には相互の密接な関連についてナゾ解きしたい興味を抱かせます。いったい、この「ふたりのタネリ」の素姓とはどういうものなのか。

  『ふたりのロッテ』の場合は素姓がはっきりしています。父パルフィーと母ケルナーが結婚して一卵性の双子を産んだとき、母の名ルイーゼロッテを二人に分けてルイーゼとロッテとしたのです。

  父はウイーンの歌劇場の常任指揮者で作曲家で、ウイーン・フィルが父パルフイーのピアノ協奏曲第一番を初演することになったとき、家でちいさな双子が昼も夜もぴいぴい泣くので不安に駆られ離れた通りのアトリエにグランドピアノを移し家出してしまいました。そのために若い母は離婚を決めたので双子は引き裂かれ、ルイーズは父にロッテは母と暮らすことになったのです。これが『ふたりのロッテ』の素姓でした。

  これに対して「ふたりのタネリ」の素姓について分かっていることは、「サガレン」のタネリについてはオホーツク海のなぎさの小屋で産まれた少年で、両親は名字の不明なギリヤークの漁師と察せられることだけです。

  また「タネリは」のタネリは「雪の死火山」の見える場所で藤の蔓の繊維で機を織るホロタイという名字の農家に産まれた少年であるらしい。賢治がしばしば岩手山を「死火山」と呼んでいるので岩手山麓で耕作する農家の出自と察せられます。

  「ホロタイ」とはアイヌ語の「大きな森」の意のポロタイが語源と考えられています。賢治は北海道を旅してアイヌ語の地名をよく知っており、例えば支笏湖畔の「ポロピナイ」などの語感に興味を持ったのかもしれない。

  また「タネリ」の名にに対しても、アイヌ語で「タネ」は長い、「リ」は高いという意味をあてはめる指摘もあるが、海のタネリにも山のタネリにも通じる名前とは言いがたい。「サガレン」の創作にあたって、賢治は「タネリ」にどんな意味をこめたのでしょうか。

 ■童話「サガレンと八月」の導入部(抜粋)

  (前段省略)
  そしてそれっきり浪は別のことばで何べんも巻いて来ては砂をたてゝさびしく濁り、砂を滑らかな鏡のやうにして引いて行っては一きれの海藻をたゞよはせたのです。
  そして、ほんたうに、こんなオホーツク海のなぎさに座って乾いて飛んで来る砂やはまなすのいい匂を送って来る風のきれぎれのものがたりを聴いてゐるとはほんたうに不思議な気持がするのでした。それも風が私にはなしたのか私が風にはなしたのかあとはもうさっぱりわかりません。またそれらのはなしが金字の厚い何冊もの百科辞典にあるやうなしっかりしたつかまへどこのあるものかそれとも風や波といっしょに次から次と移って消えて行くものかそれも私にはわかりません。たゞそこから風や草穂のいい性質があなたがたのこゝろにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません。


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