盛岡タイムス Web News 2011年 1月 13日 (木)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉40 望月善次 アカシヤの蔭

 或る夏の日のたそがれ、私は一日中漂っていた小舟をアカシアの香りのする淀みにとめ、その岸に上りました。桜咲く朧月夜のもと、恋とアカシアとの類似性などを考えたのですが、同時に、この短い夢のような時間が、霊の住み家の証明でもあれと祈ったのでした。
 
  ■アカシヤの蔭〔七四五調〕
 
たそがれ淡き搖曳(さまよひ)やはらかに、
收(をさ)まる光暫しの名殘なる
透影(すいかげ)投げし碧(みどり)の淵(ふち)の上、
我ただひとり一日(ひとひ)を漂へる
小舟(をぶね)を寄せて、アカシヤ夏の香の
木蔭(こかげ)に櫂(かひ)をとどめて休(やす)らひぬ。
 
流れて涯(はて)も知らざる大川(おほかは)の
暫しと淀(よど)む翠江(みどりえ)夢の淵!
見えざる靈の海原花岸の
ふるク(さと)とめて、生命(いのち)の大川に
ひねもす浮びただよふ夢の我!
夢こそ暫し宿れるこの岸に
ああ夢ならぬ香りのアカシヤや。
 
野末(のずへ)に匂ふ薄月(うすづき)しづかなる
光を帶びて、微風(そよかぜ)吹く毎に、
英房(はなぶさ)ゆらぎ、眞白の波湧けば、
みなぎる栫iかほ)りあまきに蜜の蜂
群(む)るる羽音は暮れゆく野の空に
猶去りがての呟(つぶ)やき、夕(ゆふ)の曲(きよく)。
 
纜(ともづな)結(ゆ)ひて忘我(われか)の歩みもて、
我は上(のぼ)りぬ、アカシヤ咲く岸に。-
春の夜櫻おぼろの月の窓
少女(をとめ)が歌にひかれて忍ぶ如。
 
ああ世の戀よ、まことに淀(よど)の上(へ)の
アカシヤ甘き匂ひに似たらずや。
いのちの川の夢なる淵(あをぶち)に
夢ならぬ香(か)の雫(しづく)をそそぎつつ、
幻過ぐるいのちの舟よせて、
流るる心に光の鎖(くさり)なす
にほひのつきぬ思出結(むす)ぶなる。
 
淀める水よ、音なき波の上に
沒藥(もつやく)撒(ま)くとしただるアカシヤの
その香(か)、はてなく流るる汝(な)が旅に
消ゆる日ありと誰かは知りうるぞ。
ああ我が戀よ、心の奥ふかく、
汝(なれ)が投げたる光と香りとの
(たとへ、わが舟巌《いはほ》に覆《くつが》へり、
或は暗の嵐に迷ふとも、)
沈む日ありと誰かは云ひうるぞ。
 
はた此の岸に溢るる平和(やはらぎ)の
見えざる光、不斷の風の樂(がく)、
光と樂(がく)にさまよふ幻の
それよ、我が旅はてなむ古ク(ふるさと)の
黄金(こがね)の岸のとはなる榮光(えいくわう)と
異なるものと、誰かははかりえむ。
ああ汝(なれ)水よ、われらはふるさとの
何處なりしを知らざる旅なれば、
アカシヤの香に南の國おもひ、
戀の夢にし永遠(とは)なる世を知るも、
そは罪なりと誰かはさばきえむ。
 
ああ今、月は靜かに萬有(ものみな)を
ひろごり包み、また我心をも
光に融(と)かしつくして、我すでに
見えざる國の宮居に、アカシヤと
咲きぬるかともやはらぐ愛の岸、
無垢(むく)なる花の匂ひの幻に
~かの姿けだかき現(うつゝ)かな。
 
水も淀(よど)みぬ。アカシヤ香も揩オぬ。
いざ我が長きいのちの大川に
我も宿らむ、暫しの夢の岸。-
暫しの夢のまたたき、それよげに、
とはなる脈(みやく)のひるまぬ進み搏(う)つ
まことの靈の住家(すみか)の證(あかし)なれ。
               (甲辰六月十七日)
 
  ■〔現代語訳〕アカシヤの蔭
 
たそがれの、淡い揺らぎも柔らかに、
収まる光の、暫らくの間の名残として
透き通る影を投げた碧色の淵の上、
私は、只一人、一日を漂っておりました
小さな舟を寄せて、アカシヤの夏の香りのする
木蔭に櫂を止めて休息したのです。
 
流れて行く終わりも分からない涯大川が
暫くの間と淀をなす、翠の川の江夢の淵よ!
見えない霊が、海へと注ぐ花のような岸辺の
生まれ育った所を求めて、生命の大川に
一日中、浮び漂うような夢見る心地の私よ!
夢こそが、暫くの間宿る、この岸に
ああ、夢ではない香りを放つアカシヤがあるのです。
 
(アカシアが)野の外れにまで匂う中、薄月も静かな
光を帯びて、微風が吹く毎に、
花房は揺れ、真白の波も湧きますと、
みなぎる甘い薫りに、蜜の蜂の
群らがる羽音は、暮れて行く野原の空に
まだ去り難い呟やきであり、夕の曲なのです。
 
艫(とも)の綱を結んで我か人かも分かち難い歩みをもって、
私は上ったのです、アカシヤ咲く岸に。-
春の夜、桜が咲く朧月夜の窓辺
少女の歌にひかれて忍ぶように。
 
ああ、世の恋よ、それは、本当に、淀みの上の
アカシヤの甘い匂いに似ていないでしょうか。
生命の川の夢のような青淵に
夢ではない香りの雫を注ぎながら、
幻も過ぎて行く、生命の舟を寄せて、
流れる心に光の鎖を作り
匂いの絶えることのない思い出を結ぶのです。
 
淀んでいる水よ、音のない波の上に
没薬を撒くように垂れ下がるアカシヤの
その香り、終わりもなく流れるあなたの旅に
消える日があると、ああ、誰が知ることができるでしょうか。
ああ、私の恋よ、心の奥深く、
あなたが投げた光と香りとの
(たとえ、私の舟が巌に転覆したり、
或は、闇の嵐に迷うことがありましても、)
沈む日があるとは、ああ、誰が言うことができるでしょうか。
 
一体、此の岸に溢れている平和の
見えない光、断えることのない風の音楽、
光と音楽にさまよう幻の
それなのです、私の旅が終わるでしょう生まれた場所の
黄金の岸の永遠なる栄光と
異なるものだと、誰かが予測することができるでしょうか。
ああ、水よ、私達は生まれた場所が
何処であったかを知らない旅ですので、
アカシヤの香りに、南の国を思い、
恋の夢に、永遠の世を知るのも、
それが罪であると、誰が裁くことができるでしょうか。
 
ああ今、月は静かに全てのものを
広く包み、また、私の心も
光に融かし尽くして、私は既に
見えない国の宮殿に、アカシヤと
(一体となって)咲いたかとうち解ける愛の岸、
無垢な花の匂いの幻に
神があの姿も気高くあるというのが現実なのです。
 
水は淀んでいます。アカシヤの香も増しています。
さあ、私の、長い生命のある大川に
私も止まろうと思います、暫くの間、この夢の岸に。-
暫くの間の、夢の少しの時間、それは本当に、
永遠の脈搏が恐れず、続けて搏つように
本当の霊の住家の証であって欲しいのです。
               (明治三十七年六月十七日)

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