盛岡タイムス Web News 2011年 1月 15日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉194 岡澤敏男 〈要保存。胚なり〉

 ■〈要保存、胚なり〉

  サガレンのタネリの童話は構想が熟していなかったらしい。母が注意したタブー(禁忌)に背いたために犬神に海底に投げ込まれて蟹に変身させられ、いよいよチョウザメの下男になるところで執筆を中止してしまいました。

  しかし失敗作だったこの童話に賢治は何らかの理由で愛着をとどめていたものとみられます。それはこの草稿の第一葉の「サガレンと八月」という題名の右側に、赤インクで大きく〈要保存、胚なり〉と書き残していることでも明らかです。

  賢治が〈胚なり〉と書き残したものとは何だったのか。「胚」とは「卵から発生を始めたばかりの幼生物」(広辞苑)とあるように、「サガレンと8月」は発生初期の過程にあった童話との意味だったのでしょう。これを裏返せば人間の発生にみられる胚葉は進化過程のさまざまな形態を経て胎児となるが、まだ目鼻立ちが胎児とはっきり定まっていない発生の一過程にある未完作との認識を示すもので、自然の新規さ、意外さ、複雑さを新鮮な好奇心によって探索する少年期の生活行動を描きたかったのでしょう。

  ところが、好奇心の犠牲になってサガレンのタネリ少年は蟹に変えられるという発想で迷路にはまってしまったのです。蟹を発想したのは水陸両方に生息できるから、何らかの葛藤を経てタネリがやがて海底から地上へ抜け出す結末を模索したのかも知れません。しかしタネリが蟹にされたところで作品を放棄してしまったのです。

  これとは直接関係ありませんが、グリム童話にも好奇心の犠牲になったわがままな女の子の例があります。それは「トルーデさん」という作品で、親が「トルーデさんの家には行ってはならない」と厳しくいましめていたのに、好奇心にかられた少女が訪れてしまうストーリーです。

  少女がそこでみたものは好奇心を超えるもので、青い顔をしてがたがた震えてしまいます。階段のところで黒い男、緑色の人、血みたいに真っ赤な色をした人をみます。そして窓からのぞくと、頭がぼうぼうと燃えているトルーデさんの正体を見てしまうのです。

  少女はうっかりそれを口にしてしまったのでトルーデさんは怒って少女を棒切れに変身させ火に投げ込んで燃やしてしまいます。一瞬にして棒切れは炎となってしまい、トルーデさんは「やあれ、明るいこと明るいこと」といって喜ぶのです。

  トルーデさんの真の姿は「頭がぼうぼうと燃えている魔女」で「火」のシンボルの意味もある。火は文明にとって不可欠のエネルギーであり、建設的な意味もあるが戦乱などによってすべてを焼き尽くすという悪魔的破壊性もある。

  トルーデさんは太母(グレートマザー)的存在としてみられる場合もある。生の神であるとともに死の神である二重性をもつ。この作品の結末の火はグレートマザーと結び付いた火として語られています。好奇心におどらされた少女が「火」のいけにえになってしまうというこの童話は重くて暗いロゴスを秘めた寓話として評価されているという。

  賢治は蟹で迷路に入った「サガレンと八月」のタネリを早春の岩手山麓で復活させて、自然の新奇さ、意外さ、複雑さにめざめ藤の皮をかみながら好奇心に燃えて行動するタネリ少年を発想したのが「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」でした。これが「サガレンと八月」の「胚」の未来像だったのでしょう。

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