盛岡タイムス Web News 2011年 1月 17日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉3 照井顕 中山英二・宮野弘紀のデビュー

 札幌市を中心に北海道で活躍していたジャズベーシスト・中山英二から、東北地方で演奏したいと、手紙とともにデモテープが送られてきたのは1977年の初夏。

  カセットテープに収められた彼のオリジナル曲「大地を走り抜ける風のように」を聴き、すっかり魅せられてしまった僕は、コンサートを主催することにした9月12日まで、彼らの音楽を、100回は軽く繰り返しながらそのテープを聴いた。

  新鮮なメロディー、それを奏でるトリオの美しいサウンド。力強いベースラインとともにまるでリード楽器のようにメロディーを奏でる一人二役?の中山英二のベース奏法。なぜにこんなにも素晴らしいミュージシャンが、無名のままで北海道に居なければならないのか!と、僕は彼らの生演奏を耳の当たりにし、一大決心をした。

  ジョニーズ・ディスクの創設であった。大げさに言えば、岩手でレコード制作会社を立ち上げたのである。当時、レコードと言えば、東京中心の大手メーカーが作ったものを耳にするだけの地方。それに反旗をひるがえし、地方から東京へ、全国へ、出来ることなら世界へと、第3者である僕の耳を通した作品を世に問うてみようと思ったのである。

  だが問題はお金の工面。無一文に近い僕は、知っているほとんどの人に手紙を出して、一人1口1万円の出資を募って始めたレコード制作は珍しがられ即完売!同78年には、上京してスタジオ録音。1年で2枚もリリース。と、これまた話題となって再プレス。

  ここから中山英二は大躍進。2作目のメンバーと共にバンドごと東京へ進出して行ったのである。ギターの宮野弘紀(現在、歌手の綾戸智絵の伴奏者も務めている)彼は、その時が初レコーディング。今では2人とも、世界的に見ても指折りのジャズミュージシャンの1人に数えられる程だ。

  その記念碑的レコード「アヤのサンバ」「マイ・プレゼントソング」の2作が32年ぶりの2010年に渋谷のレコード会社・ウルトラ・ヴァイヴからCD化され再発売になった。
(開運橋のジョニー店主)

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