盛岡タイムス Web News 2011年 1月 19日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉212 伊藤幸子 「進士登第」

 眠る時間約(つづ)めてわれは学びをり学べばかすかに湧きくる希望
                               吉村睦人

  「角川現代短歌集成」より。同、木下孝一「生きてあらば汝(なれ)も受けけむ共通一次試験日の朝つもる白雪」の歌も見え、ともに昭和60年ごろの作品。現在のセンター試験の前の世代である。受験生にとっては年が明けると進路決定の関門が待っている。自然条件の最も厳しい小寒大寒に積雪も頂点、インフルエンザも猛威をふるう。

  さて、正月あけ、たっぷりした夜長の時にまかせて大作、浅田次郎さんの「蒼穹の昴」を読んだ。わけても「科挙登第」の章にわくわくする。「日本は中国から多くのものを吸収したが〈科挙〉と〈宦官(かんがん)〉の制度だけは採用しなかった」と、陳舜臣さんが解読されているが、この本には優秀、屈強な宦官が大勢登場する。

  それは別として、科挙の試験に挑む若者の姿に、やっぱり浅田文学の真髄にふれ、その発揚(はつよう)性、泣かせどころに泣かされた。

  時は大清国光緒12年陰暦3月9日(西暦1886年)科挙本試験の朝がきた。河北梁家屯の地主の次男、梁文秀は今しも北京順天貢院にて問題集と答案用紙をうけとった。これから第三場まで、九日間にわたって難解な答案を書き続けなければならない。独号舎での極度の緊張から発狂する者もある。文秀の隣室の受験生はなんと70年余も試験に挑み、病み衰弱しかかっているのにすさまじい気迫で答案を作成する。そしてこの老人は「四書題も詩賦も最高の出来ばえ」と大満足。机にうつ伏したかに見えたが再び目をあけることはなかった。

  夢かうつつか最終日の朝、文秀は科挙第一等の星「昴(スバル)」にふさわしい大文章を仕上げていた。夜半にあの老人に骨子を教わったような気もする。意識の混濁が妄想を呼び、もしや換巻(盗作)ではないかと悩む。大体老人の存在さえ虚実不明で、読みながら動悸をおさえきれない。

  筆記面接等、二万人余の挙人(きょじん)が命を削って競いあった試験は終わった。やがて礼部衙門の前に文秀の合格発表を見た父梁大爺は、ふるえる指で男子出生の際銅貨に鋳込む「進士登第」の四文字をまっさおな空の高みに書くのだった。四巻からなるこの物語は、さらに老占い師の予言のように、清王朝中枢に及ぶ大スペクタクルを展開するのだが、ここでは若い血潮のたぎる受験風景に心を奪われた。
(八幡平市、歌人)


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